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虐待・発達障害・非行… 複合的な問題を抱えた子どもの支援とは

09.26.2011 · Posted in Interview, 子ども

平尾幸枝さんのインタビュー(「メンタル面で問題を抱える人たちの 現実的なサポート」)で書ききれなかったことがある。日本の子ども支援の現状は、まだまだ穴だらけなことが印象的だった。

カウンセラーとして家族問題、特にDVや虐待に関わってきた平尾さんは、女性のシェルターとの連携をしながら、大人だけではなく、子どもも同時に虐待を受けているケースをたくさん見てきた。子どもを守る施設の必要性を感じながらも、親権など法的な問題で限界を感じていたとき、弁護士など法律の専門家たちが、子どものシェルター『カリヨン子どもセンター』を立ち上げたが、このようなシェルターは、まだ全国に数カ所しかない。

●子どものシェルター内での、デイプログラムの必要性

 
『カリヨン子どもセンター』を訪れるのは、自発的に来るか、学校の先生から人権110番などを通じて緊急避難的にくる、12歳~19歳の子どもたちである。弁護士がケースワークを行い、医療や関係機関につなげることがほとんどで、滞在期間は平均3ヶ月ほどで出入りが激しい。カウンセリングの相談室のように、長期的にサポートしたり、何かを提供して中長期で本人の経過を見ていくことが難しい状況のなかで、平尾さんは、短期間でも安心できる場所を作りたいと考え、デイプログラムを行う『カリヨンハウス』を作るのに動いた。

「ここに来る子たちは、親から自分だけに愛情を注いでもらったり目を向けてもらった経験がほとんどない。いつも自分の身を守るために、周りに神経をとがらせていたような子たち。普通の子どもたちが送るような子ども時代を過ごしておらず、好きなことを好きなだけやらせてもらった経験もありません。そういう子たちに、料理や音楽、おしゃべり、勉強など、子どもとしてやりたかったことを思う存分できる時間と場所を確保してあげたいと考えました。ほんの短い時間でも、やりたいことを叶えられた経験を持つことで、自分の可能性を感じたり、社会で生きてても楽しいこともあるんだなと、無条件に受け入れられる実感を感じ取って欲しい」。

●問題行動の結果を法的に処理しているのみ

2002年のカリヨンハウス設立から活動してきたなかで、平尾さんは、子どもを支援するうえで必要であるはずの制度や環境が、日本にあまりにも不足していることを指摘する。

「シェルターで関わっている子は、複合的に問題が起きている場合が少なくない。
発達障害があり、暴力を受けているから愛着障害が起きる。小さい頃から虐待を受けて、親からの十分な愛情をもらえていないので、自分が注目されたい、かまって欲しいという欲求が強い。周囲の大人から注目されたいがために、事件を起こしたり暴力をふるったりしてしまう。その子の問題行動のルーツは親の虐待なのに、事件を起こしてしまうと、非行少年、非行少女の扱いになり、鑑別所行きになる。鑑別所では手厚いケアが受けられるわけではなくて、ただレッテルを貼られるだけ。虐待による精神的なケアや発達障害などのケアをされないため、自分の衝動性をどうしていいかも学ぶこともできないまま、期限が切れれば出所させられる。しかし、家庭に帰ると、親は暴力やネグレクトで、誰かから普通に社会生活を送る術を教えてもらえるわけでもないため、そんな状況で社会に放り出されたら再び非行や犯罪など問題を起こしてしまう。そうやって回数を重ねてしまうと、司法系の施設か病院しか行く場所がないんです。

少年院に送られるというのは、司法の判断のみで、本人の意志もないし、精神医療的視点からのケアもありません。今の日本には、虐待、発達障害、非行など複合的な問題を抱え、このような経歴がある子や人間関係をつくれない子を受け入れ、本人の特性を鑑みたケアをしながら、社会に適応できるようにする制度も施設もない。そのため、たらい回しになっているのが現状です」。

『カリヨン子どもセンター』のようなシェルターは一時的な滞在であり、仮に、ここで手厚いケアを短期間受けたとしても、短期間に温かい対応をしてもらったことで、愛情を欲しいという気持ちに火がついてしまい、ますます、他にいったときに難しくなってしまうという場合も出てきてしまう。

そういう結果からシェルターの存在を悪く考えるのは、問題のすり替えである。緊急避難的なシェルターで保護し、本人が抱える問題をケアして、社会に出た後も適応できるようになるまでフォロー体制があり、そして、一般の人と同様に自立した幸せな人生を送ることができるようにするのが理想である。子どもの頃に虐待などで、人としての権利や機会を著しく奪われている子どもたちに対し、それを取り戻すための支援が必要である。

●子どもへの精神医療の専門機関が少なすぎる

保護者からの虐待の影響を受けたままの成長過程で起きる問題において、20歳までは未成年としてある程度の保護があるが、20歳を超えると、何か事件を起こすと犯罪者として責任を負わされてしまう。発達障害や精神的な障害を、子どものうちに時間をかけて丁寧に対応し、社会的なスキルを身につけていくことが必要なのに、成人までに負の遺産の解消を支援する体制がないために自己責任を負わされるのは、理不尽でもある。

「発達障害は、学校でも、社会では大人も、話題にはなっているのに、適切なケアはされていない。理解も支援もされていないし、理解が進むような施策もない。重篤な場合、それを専門に診ることができると評価される医療機関で診察を受けるのに数ヶ月も待たされる。

そもそも、発達障害を専門として診断できる医師があまりにも少ない。日本では、精神科医と児童青年期精神科医が、一緒くたにされている。子どもの精神医療は、大人とは別であるべきなのに、小児科系はお金が儲からないということもあり、児童青年期精神科医の数は非常に少ない。不登校のなかに発達障害は含まれている場合も多いのに、教育行政のなかでは不登校への専門的で体系だった対応もない。なにがなんでも無理やり学校にこさせる方針が、急に行きたくないなら来なくていいという方針に転換するというふうに、教育現場での対応も適切とはいえない」。

平尾さんは、問題を抱える子どもや大人が存在しているにも関わらず、社会から理解されず、必要な制度や施設が整備されていない現状に直面すると、為す術がなく「絶望につながる」とまで語る。

●人の生きる力を見せつけられる

それほど、つらい現状と向き合いながら、平尾さんが今までこの仕事を続けてこられたのは、人の持てる力に勇気と希望を持てたからでもある。

「クライアントさんに携わることで、良くなっていく姿を見ることができる。それは、自分たちが何かをしたからではなく、その人の持っている力がちゃんと引き出されたから。どんなに過酷で絶望的な状況があっても、人間にはすごい力があるってことを、日々見せていただいていることが一番大きい。

自分が何かできるとは思ってなくて、むしろ何もできないと思うことが多い。若い頃には、自分が何もできないことや能力不足ばかり目に止まり、無力さに絶望していましたが、今は自分が何もできなくて無力であっても、人ってこんな力があるんだな、と実感できることが、厳しい現実に寄り添う原動力になっているのだと思います」。

東日本大震災の前には、社会に足りない制度や環境を作る構想があったという平尾さんだが、「今は、さまざまな問題に対する思いが、いったん白紙に戻っている感じ」だという。震災をきっかけに、今までの人の関わり方、支援の在り方、生きてゆくための価値観などが、見直されている。その現実のなかで、自分がどう受け止めて、見直し、新たに考え、実行してゆくか。それは、平尾さんだけでなく、多くの日本人にとっての課題でもある。

「現実と向きあっていれば、自ずと見えてくるはず」という平尾さんの言葉に、とても深い共感を受けた。

多種多様な情報が横行し、それに伴った価値観が先行する世の中で、人としての現実の生き方が見えづらい状況だったのが、目の前にある現実問題をどうするか。複雑で面倒な現実問題を先送りしていると、問題が大きくなってからでは手をつけられない状態にもなりかねない。

大人のストレスや欲の犠牲になっている子どもたちを救い、大人になる前に、その障害を取り除くための支援制度や施設は早急に整えられるべきだ。現実から目をそらさず、理想やきれいごとに逃げずに直視する勇気、そして、そのなかから自分ができることを確実に実行していく行動力が、必要な時がきている。

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