今、起きていることは
今、起きていることは、なるべくしてなったこと。
良いことも悪いことも、今まで生きてきた自分が引き寄せたこと。
そうなったことの原因を探るのもいいけれど、
そこにエネルギーを使うより、
今、目の前にあることへの対処に全力を尽くすこと。
それは、自分の未来をどうしたいかに直結するから。
今、起きていることは、なるべくしてなったこと。
良いことも悪いことも、今まで生きてきた自分が引き寄せたこと。
そうなったことの原因を探るのもいいけれど、
そこにエネルギーを使うより、
今、目の前にあることへの対処に全力を尽くすこと。
それは、自分の未来をどうしたいかに直結するから。
子どもが小さい時は自分は当事者だったが、子どもが大きくなったら忘れている。
自分が年をとったら、誰かに助けてもらう立場になる。
こんな場面に出くわしたら、すぐに動けるような人間になりたいと思う。
●立場の弱い人に肩身の狭い思いを強いてはいけない
http://www.huffingtonpost.jp/akiko-ieiri/feel-ashamed_b_5686525.html
今後、確実に増加するリアル。
老後について、真剣に考えると、恐ろしいことばかり・・・
●俺「あの、そちらの老人ホームに空きありませんか?」
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/4151381.html
相手の言うことを、そのまま受け取り、受け取ったことを相手に伝えること。
簡単なようで難しい。
人は本心をそのまま理解しようとする人に心を開こうとするし、受け取ってもらえることが、大きな助けにもなる。
でも、人は自分が正しいと思っていて、相手の意見をジャッジしたり、自分の思い通りに修正しようとする場合が多い。
そんな人とは、信頼関係は築けない。そんな親に育てられたら、人を信用できない、本音で話すことができない大人に育ってしまう。
人生のうえで、生産性が高いことは、Happyにつながる。
性格がポジティブである必要はなく、ネガティブでも得るものが多く、生産的であれば、本当はHappyなはず。
そう思いたいか、思いたくないか、にもよるけれど。
ネットでわかるのは、文字で表す部分のみ。
その言葉や文字の操り方で共感できる人と会えることは、なかなかのヒット。
面と向かったやりとりでは、口からの言葉だけでなく、ルックスや声質、手振り、身振りなども含めたコミュニケーションのうえに、その人の職や社会的地位などを知ってしまうと、自由なコミュニケーションができない場合もある。
そういう意味でネットでは、字面だけでつきあえるので、その部分でのやりとりを楽しめるのが魅力でもある。
そういうやりとりのなかで、否定から入る人、議論にならない人、共感できない人、互いの知識や情報に相当な隔たりがある人とは、やりとり自体が成立しないので、そういう人とはつきあう意味がないと思う。 (さらに…)
「こんなに不幸な自分、かわいそうでしょう?私。だから、かまって、やさしくして!」
不幸に居座って、『私のかわいそ物語』で、人と関係を持とうとしても、
まともな関係ができるわけがない。
その人自身が不幸なのではなく、
「不幸だ」と思い込んでいる 心が有りようが不幸なのだ。
そして不幸な人は、いつも何も信じられないで苦しんでいる。
自分のせいで苦しんでいるのに気づこうとしない。
人口が増える時は、文化的には劣る時期。消費して疲弊していく。
人口が減っていく時は、爛熟していくとき、文化に実りがある時。
「本当の自分がわからない」
「昔の自分が嫌い。あんなの、本当の自分じゃない」という人がいる。
いやいや、実際に自分でやってきたことなんだから、
そうやって生きてきたから、今があるんじゃないですか。
それ、全部、本当の自分でしょ。
そんな自分が嫌なら、理想の自分に変われるよう、何かすればいい。
そういうこともせずに、嫌だ、イヤだ、といってても、何も変わらない。
でも、その前に、その変だった自分、気に入らない自分がいるから、
今があるし、これからまた変化する自分があるって考えると、とても面白い。楽しい。
人間変わるのは当たり前。ずっと同じだと面白くない。
昔感動した本や映画を、年をとってから観ても、全然、感動しないし、
以前めちゃくちゃ腹が立ったことと似たようなことがあっても、別になんともなかったりする。
そういうのひっくるめて、全て自分。
本当の自分を現したいと思っていても、人前では偽ってしまったり取り繕ったり、そういうことをしたくなる自分が、本当の自分だと思えばいいんだと思う。
自分をきちんと把握しようと思うと混乱するかもしれない。
でも、selfは、ひとつじゃない。
直感でふるまっている自分が、その時の本当の自分なんだろう。