理性と感性のバランス
現代人は、思考に偏り過ぎ。こうでなければならない、あれをしないといけない、時間に追われ、次々と頭で考えている。
理性と感性があるのに理性が勝ち過ぎ。
今、自分は何を感じているか。それも嫌な感覚と心地良い感覚を比べると、前者の方が記憶に残る。
ネガティブな感覚が勝ち過ぎると、そこにフォーカスして、そっちの感覚ばかり引き寄せる。 (さらに…)
現代人は、思考に偏り過ぎ。こうでなければならない、あれをしないといけない、時間に追われ、次々と頭で考えている。
理性と感性があるのに理性が勝ち過ぎ。
今、自分は何を感じているか。それも嫌な感覚と心地良い感覚を比べると、前者の方が記憶に残る。
ネガティブな感覚が勝ち過ぎると、そこにフォーカスして、そっちの感覚ばかり引き寄せる。 (さらに…)
人間関係は、うまくNOと伝えられる技術を身に付けるほどに楽になる。
平気でNOを言えると、その後、何が起きようが、大して気にならない。
嫌なのに、NOを言えないと気持ち悪い。。。
我慢しながらつきあう関係の相手なんて、別にいなくてもいい。
たわいもない会話のなかに、本人の立ち位置や居場所についての感覚や潜在意識が散りばめられている。
それに氣づくかどうか。
感度が鋭く柔軟な思考の人と話していると、さまざまな潜在意識に氣づかされるので興味深い。
一緒にしゃべっている相手が、互いに氣づくきっかけをもたらす。
相乗効果。
それがないと、会話なんて、ちっとも楽しくない。ただの時間つぶし。
せっかくの大事な時間を無駄にしたくない。
だから、話す相手は選びたい。
「具合が悪いところは、ありませんか?」と聞かれると、
痛い部分、不快な部分、重たく感じる部分を一生懸命探してしまう。
それまで、特に痛くも痒くもなかったところが、突然、すごく悪いところのような氣がしてきてくる。
病名を思い浮かべたり、そうなった原因を探るため記憶をたどったり、
悪い不快なものを寄せ集めることに気持ちが向くと、本当に具合が悪くなってしまうときもある。
(さらに…)
「こんなに頑張ってるのに!」
と思ったとき、今までの頑張り方では、自分の納得いく成果が出てないってこと。
つまり、その頑張り方を続けていても、目標に近づかない。
この頑張り方じゃダメだと気づけば、方針を変えるべき。
そのくやしい気持ち、腹立たしい気持ちが出てきたとき、
つまり、それは、チャンスでもある。
生まれてきたことが奇跡。
今、生きてることが奇跡。
「奇跡」
自分は不幸だと思ったり、生まれなきゃよかったと悲しんだり、死と直面して心がかき乱される瞬間は確かにあります。
でも、今、自分がここに居るのは「奇跡」であることを理解すると、そういう気持ちになることは無くなってきます。
植物栽培をすると、一粒の種を蒔き、それが芽吹き、そして育っていくので気づきませんが、本来、無数のトマトが地上で朽ちて、次に芽吹く確率というのは、もう奇跡に近い数字です。それは、人間の精子も同じことです。 (さらに…)
自分を大好きなのは大いに結構だ。
自分の良いところも悪いところもきちんと把握して、それでも自分を好きであるなら。
自分のいろいろな面を見ることで、自分の考える自分と外から見た像が一体化し、充実し、主体化して行く。
(さらに…)
言葉遊びが出来ない奴はダメ。
1つの言葉に、いろいろな意味を想定出来るようになって、一人前の大人になる。
言葉を発した相手が、1つの意味で言っているかどうかさえ、本人はわかっていない場合もある。
その言葉の裏側にある深層心理まで読み込めたらしめたもの。
人は外からから見るだけでは理解できない。
裏も奥も、そのまた奥、その奥の奥もある。
自分で見たくない内面を他人に気付かれたら一生懸命否定する。
わかりやすい。 (さらに…)
困難に耐える力より
困難を引き寄せない知恵。
困難が起きてから耐える力を鍛えるより
困難に遭わないように、知恵を使おう。