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戦争体験者のメッセージを平和につなげる

10.18.2010 · Posted in Interview, 平和

NPO法人 ブリッジ・フォー・ピース  代表理事    神 直子さん

●戦争経験者の声を届ける

フィリピンには、戦時中に日本兵からの仕打ちに傷付いたまま、癒されずにいる人が大勢いる。一方、日本には当時兵士として国に尽くしながらも、自分の行った残虐行為について語らずにやり場のない気持ちを抱えて生きている人がいる。

神直子さんが代表を務めるブリッジ・フォー・ピースは、その元日本兵のインタビューをビデオメッセージに収め、フィリピンや国内で上映する、平和への架け橋になる活動を行っている。

「フィリピンの人たちへのメッセージだったけれど、中国人に向かっていってくれているような気がしてすごくうれしかった」。ある大学での上映会のときに、中国人留学生が発した言葉だが、戦争体験者の生の声は、国を超えて響く力がある。

すでに日本では約80名、フィリピンでは約50名を取材した神さんは、「あと10年もたつと聞けなくなる。」という思いで取材を続け、その声を多くの人に届けている。

●フィリピンへのスタディツアー

神さんは、2000年に大学卒業目前の2月から約1ヶ月、あるスタディツアーで初めてフィリピンを訪れた。そのツアーは、「戦争の傷跡を知る」「第三世界の現状を知る」の2つの目的で、ホームステイをしながら戦跡を回ったり、多くの戦争被害者に出会うようなプログラムだった。

「『日本人なんか、見たくなかったのに、なんで、来たんだ!』と日本人に夫を連行された未亡人女性に言われたときは、本当にショックを受けた。のほほんと生きてきた大学生だったので、精神的にも肉体的にもきつかったです」。

ツアーに参加したきっかけは、高校時代に友達になったドイツ人高校生の言葉が影響している。「昔、ナチスドイツがしたことを思うと、ドイツ人であることが恥ずかしい。ドイツ人だと思われたくない」という友人の言葉に神さんは驚いた。「高校生の頃、自分の国のしてきたことなど考えたこともなかったからその言葉は衝撃的でした。いつか自分の国の歴史を、自分のこととして考えてみたいという気持ちを持ち始めました」。

卒業後、人材派遣会社に入社。たまたま社内で年配の戦争体験者が、戦時中の話題をする場面に遭遇した。「話を聞いていた40代の女性が『そんな昔のことを』とククっと笑ったんです。昔のことでもないし、まだ戦中の傷を抱えて生きている人もいるのに、笑われてしまう現実にショックを受けました」。

1年後NPOに転職し、元兵士の話を聞く機会があった。「戦時中に自分がしてしまったことをとても悔やみ、悔やみながら亡くなった老人ホームの男性のことを知人から聞いて、そんな気持ちを抱える元日本兵がまだいることを、おそらくフィリピンの人は知らない。そんなもどかしさから、フィリピンに届けようと思い立ったんです」。

2004年8月からフィリピンで戦った経験のある元兵士を探し、インタビューを開始。以前に出会った戦争被害者や未亡人たちへの御礼として届けようと、2005年に2度目のフィリピンを訪れた。

「最初は、相手の気持ちより、私がやりたいからやるという感じが強かった。『こんなもの、見せるな』といわれるかもしれないし、気持ちが和らぐことはあっても、何の意味があるかも確証はありませんでした」。

実際には「日本は経済大国になり、戦争体験なんかとっくに忘れていると思っていたのに。日本兵も実は行きたくて行ったんじゃなかったんだ」という日本兵の気持ちを知ったフィリピンの人たちからは、毎年でもやってほしいという反響があり、とても驚いたと神さんは語る。

●「届ける」「共有する」ことの大切さ

国内で戦争体験を聞くことは珍しいことではなく、多くの聞き取り活動が行われているが、それを現地に届ける活動は、ほとんど行われていない。

「戦友の慰霊を建てるために戦後多くの日本人がフィリピンに来たり、物資は届けてくれるけれど、何も話さずに帰国してしまうのは、なぜ?」というフィリピンの人たちの声を元日本兵たちに伝えると、「自分たちが、何をしたかわかっているから話なんてできない」「ナオコ、大丈夫か?毒をのまされないか?」と心配してくれる人までいる。

「言葉の壁、罪悪感や恐怖感があるのはわかるけれど、何もしなければ溝はいつまでたっても埋まらない。そのために、映像を使って、生の声や表情を届けたいんです」。

フィリピンでの上映会で、当時の記憶がある人のなかには、「日本人は怖い」といいながらも、年老いて優しい顔になった元日本兵の様子を見た人たちは、「あれが、同じ日本人なのか?この人たちが、昔フィリピンに来た人?」と驚く。「日本人に対して、もう、怒ってないよ」といいながら、自分の話を語り始める人もいる。上映会をきっかけに、様々な思いを話すことで癒され、抱えていた重荷を下ろす人がいる。

「《残す》プロジェクトは多いけれど、《届ける》《共有する》ことが抜け落ちています。そこで何があったかも知らず、フィリピンの海で遊んで帰ってくる日本の学生を見ると過去の経験が活かされていない断絶を感じます。日本との経済関係から日本に対してはっきり言わない方がいいと思うフィリピンの人も多いけれど、それが日本人の意識低下の原因でもあると感じます。私はフィリピンの人にもっと声をあげてほしい。そうしないと溝は絶対に埋まりません」。残したものを伝えあって共有して初めて理解につながる。その理解が平和へと導いてくれるのではないだろうか。

●いつまでも語り継がれるために

就活時には派遣という働き方がもてはやされ、神さんは良いものだと思って就職したが、10年たった今、派遣は必ずしも良い働き方とはいえない風潮を見ると「社会経験もなく、世の中も知らず、判断力もない22歳の自分は、戦争にいった兵士と同じ。その時は、良いことだと猛進しているので気づかない。後になって多くのことを知って初めて自分なりに考えられるようになるんだと思います」と知らないまま世間に流されることの危険性を指摘する。

「あと10年もすると戦争体験者はほとんどいなくなってしまう。そうなってもきちんと語り継げるようなプログラムづくりを進めています。また、私自身がスタディツアーをきっかけに関心をもったように、いろいろな国の多くの人に伝え、交流できるようなスタディツアーも企画していきたい」と神さんはいう。

ある大学での上映会後、学生たちのぎっしり詰まったレポート内容を見て、「学生はこんなに書けるのか」と担当教授が驚いたのを聞いて神さんは、「実は、みんな関心があるのに、日本の生活のなかでは戦争の話ができない雰囲気。公民館で上映するというと集まりませんが、カフェやバーで上映会をすると、若い人も年配の人もたくさん参加します。戦争の話をするのは、とても自然なことで、なんとなくタブー視されているのが不思議。いかに話せる場を増やすかが今後の課題です」。

この活動を知ったオランダ在住の日本人からインドネシアでの上映会はないかという問い合わせがあったそうだ。かつてオランダ人が在留していたインドネシアに侵攻した元日本兵の行為を許せないオランダ人が今でもいるという。また、中国や韓国からの上映会の話もある。二度と戦争を起こさないようにするためには、体験者の痛みを生の声で伝えると同時に、国は違っても同じ人間であり、その感情や思いは変わらないことを共有することが、平和な世界の基盤となっていくのではないだろうか。

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神 直子さん
NPO法人 ブリッジ・フォー・ピース(http://bridgeforpeace.jp/)代表理事。
青山学院大学文学部卒。2000年にフィリピンにスタディツアーに参加。人材派遣会社、NPOなどを経て、2004年8月から元日本兵へのインタビューを 開始し、ブリッジ・フォー・ピースを設立。2010年1月、NPO法人格を取得。ビデオメッセージの上映会の他、勉強会「寺子屋BFP」や各国の歴史教科 書から学ぶ「教科書プロジェクト」などの活動を行っている。

Int’lecowk(国際経済労働研究所発行)2010年10月号に掲載されたものです。

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→→「BRIDGE FOR PEACE」神直子さんを取材して、印象に残った言葉

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