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家族とは

09.18.2011 · Posted in view

それでも、生きてゆく」(フジTV)が終わった。毎回胸を打ち号泣に近い状態だった。

主人公(瑛太)が中学校のときに、妹が、中学の同級生に殺される事件から、加害者家族、被害者家族の行方を丁寧につづったドラマ。
加害者家族は当然のようにマスコミや世間から非難を浴び、居も職も転々としながら贖罪の意識をどうすればいいかわからず生きている。被害者家族は、納得のいかない思いを抱えながら、兄である主人公も母(大竹しのぶ)も父も、自分のせいで殺されたと思い、ずっと苦しみ続ける。

人が殺されると、法的には加害者のみ裁かれるが、実際には加害者家族も被害者家族も社会のなかで生きていくのは並大抵なことではない。加害者が刑期を終えて出所しても本質的には何も変わっていない。人の心の前で、法は、何も解決しないことを物語っている。

単純に加害者が裁かれれば済む問題ではなく、家族や周りにいる人たちにとてつもない大きな影響を及ぼす。苦しみの道のりの長さから最悪なことだと目に映るが、物事の本質に向きあう努力や勇気があれば、その先に光は見えてくると思う。ただ、あきらめた時点で光を見ることはできないだろう。

このドラマはその光を最後にほのめかしてくれた。セリフのなかにも、ハッとする言葉がいくつも散りばめられていた。

普通なら家族が殺人に関わるなんて不幸でしかない。しかし、このドラマは殺人事件ということがきっかけで、家族が真剣に向き合い、本音でぶつかりあって、理解するところまではいかなくても、家族ひとりひとりが何を考えているかを、自他ともに聴き認めざるをえないことができたとうストーリーであった。

普通の家族なら、そんな事件は滅多に起こらないけれど、何か非日常なことが起こらない限り、家族それぞれがお互いに思いを相手にぶつけたり、知ることができる機会はそんなにないのではないだろうか。本音で語る機会もなく、わだかまりつつ見て見ぬふりをしながら時を過ごし、聞きたくても聞けず、言いたくても言えない。口を開けないのは相手を尊重しているのではなく、その先に進むのが怖いから。その結果、問題が大きくなりすぎて、仮面夫婦になったり、子どもは成長する過程で親の些細な一言を心に深く刻みこみ、不登校やひきこもりになったり、人とうまくつきあえない人もいるだろう。親の介護や遺産相続でもめる。自分でも自覚したくない思いを外に表現せずに棺桶まで持っていく人は少なくないかもしれない。

嫌なことしか起こらない人生、つらいショックを引きずる人生は、本人にとっては生きる価値がないと思うかもしれない。自殺したら楽になれると思う人もいるだろう。でも、生まれてこなくて良かった人は誰もいないと思う。生きることは本人にとっても大きな意味はあるし、その人の存在はその家族や周囲の人にも意義がある。

「家族とは《なる》ものではなく、《する》もの」と誰かがいったけれど、家族だからといって簡単にわかりあえる仲ではない。同じ屋根の下で暮らしていたら察してくれるというのは、単なる甘えでしかない。同じ環境に育っても全く価値観が違う兄弟も多い。親の言動をずっと納得や理解できずに生長してきた人もいるかもしれない。しかし簡単に縁を切ることはできない。つらく苦しいかもしれないが、自分なりに考えて、全く違う考えの家族や兄弟と向き合い、どうすればお互いが納得できるか。妥協も譲り合いもあきらめもあるかもしれないが、そうやって、家族が創られていくのではないかと思う。

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