fine-club.project approach with well-balanced mind for a balanced life

「BRIDGE FOR PEACE」神直子さんの印象に残った言葉

10.20.2010 · Posted in Interview, 平和

フィリピンと日本を結ぶビデオメッセージ・プロジェクト
BRIDGE FOR PEACE」の代表・神直子さんは、フィリピンや日本の戦争体験者をインタビューし、そのビデオメッセージを日本やフィリピンなどで上映。戦争とはどういうものかを生の声で伝え、各国に暮らす人と人を結んでいる。

神さんを取材したときに印象に残った言葉を並べてみる。

フィリピンのコレヒドール島で
音声ガイドは、日本語と英語のガイドがあって、両方を聴いてみたが、内容が全く違う。
英語のガイドは、日本人がいかにひどかったかを話していて、日本語のガイドは、全くその手の話はナシ。
「こういう認識でガイドするのは、日本人にとっていいことではないので、止めてください」と抗議した。これじゃ、わかりあえることなんて、一生ありえない、と思った。

「教科書プロジェクト」メンバーのなかに、インドネシアで20年間育った日本人の男の子がいた。彼から、「インドネシアの教科書、見たことある?」と聞かれた。「ないよ」と答えたら、「ものすごい怖い顔をして軍刀をもった日本兵の写真が教科書に1枚載ってる。クラスメートから、お前日本人なんだろう、といわれ、複雑だった」と。

この教科書は、インドネシア全土で使用されているという。
そういうことを知らずに、日本人はバリ島に遊びにいっている。

そんな状況でお互いがわかりあえるわけがないと思うので、いろんな歴史の教科書を集めて展示会を定期的に開催して、戦争についての勉強会を行っている。

こういう活動をやってる団体は他にもあるんでしょうが、目的をがっつり決めちゃうと、きつくなる。そこをどう表現するかが今後の課題。

私は、戦争の話をするのは、ある意味、自然なことで、今までされなかった事態が不思議だと思っている。「いかに話せる場を増やすか」が課題だと思っている。

「そういう発想だったら参加したい」と、政治色、宗教色、イデオロギーみたいな色がついていないところだったら参加してもいいという人はいる。

かつての、戦争についての活動は、「戦争はしてはいけない。だから、◯であるべき」といったガチガチな考えになりがち。
既存のやり方でやってた人からすると、「生ぬるい」といわれる。

でも、ガチガチにしたら、みんな疲れちゃうから、そこを言葉でうまく表現したいなと思っています。平気で口にできる世の中になったら、もう少し社会も変わるのではないか。

中国の地震の被災者のための募金集めをしていたら「なぜ、中国なんかに募金するの?」と小学生が言った。親のすりこみで中国に悪い印象しかもっていない。その小学生は、実際に中国人を知らない。

でも、1人でも中国人の友達がいれば、そんな言い方はしないはず。

そういう意味で、私自身、スタディツアーに行く前は、フィリピン人に対して偏見があった。

フィリピンにいって実際に触れてみて、「ああ、やさしい人たちだな」と思った。
それまでは、危ない国といった偏見があった。実際に触れることが大事だと思う。

NPO団体で
人が一番大変。
「平和といっても、人が増えると、団体の内部が平和じゃなくなるわよ」と大きな団体の人に言われた。

団体が大きくなっていくと、考えにズレがでてくるので、その都度、調整しないと。
もっと活動ぽくしろ、もっとこうしろ、という人には、変わっていただくか、ごめんなさいするしかない。そのへんは、はっきりしていきたい。

日本は、他の国に比べればいい国だと思います。言いたいことは言えるし。
フィリピンなんて、政治は腐敗もいいところ。比べたらきりがない。

この国は、幸せだと思うけれど、ここで暮らしている人が幸せだと感じられないことが不幸せだと思う。

「戦争の話を聴きたいのですが」というと、家族から「もう昔のことですから、そっとしておてください」と拒否されることもある。

すでに亡くなった人の家族から聞くと、「生きているうちは、聞けなかったけれど、どんな話でもいいから聴いておけばよかった」という。

大学で上映会を行うと、
うちのおじいちゃんが話してた、などというぎっしりのレポートを学生は提出する。
上映後のレポートを見て、「学生は、こんなに書けるんだ!」と、先生たちが、すごく驚く。

日本では、ふつうに戦争の話ができない雰囲気。
戦争の話なんてし始めると、「キミ、大丈夫?」と周りから言われる。個人として、なんとなくは考えることがあっても、具体的に深く話す場がない。

上映会を公民館などの公共施設で行うというと人は集まりづらい。
けれど、カフェやバーでやります、というと、結構若い人が参加する。
10代から90代まで、関心のある人がくる。実は、みんな関心がある。

2000年、派遣という働き方が良いものだと思って自分は突き進んで就職したけれど、10年たった今、派遣の悪い側面も認識され、あまり良くない印象でいわれるようになった。

戦時中も、戦争が良いと思いこんで進んでいったことが、蓋を開けたら全然違っていたということだと思う。

就職を決めたときは22歳で、あまり社会経験もなく、世の中を知らず、判断力もない状態。そんな自分と、戦争にいった兵士も同じ。後になってから責められても、あのときは、「あれはいいことだ」といわれて思い込んでいるわけなので気づかない。

時間がたって事実を自分の眼で見て、体験したこと、感じたことを後に伝えることが、次の世代のためになるのだと思う。

・・・・・・・・・
戦争に行った人に対して、「大変だっただろう」「そのときは、人を傷つけても平気だったんだろうな」と私たちは、勝手な想像で、それ以上深く考える機会があまりない。しかし、実際に会った人は、それぞれ違った体験や思いを抱えながら、人生を歩んでいる。会って短い時間、話を聴いただけで、その人の人生の喜びや悲しみ、苦しみを簡単に理解できることはありえない。

遭う人の数が多ければ多いほど、いろいろな人生を知ることになり、自ら考えることも多く、複雑になっていく。

善悪の境界はどこにあるのか? 
社会にとって良いこととは何か?
幸せとは何か?

さまざまな人の存在、環境、起きてしまった事を知れば知るほど、そんな問に簡単に答えが出せないことがわかり、思い悩む。
その過程で出会える、ふれあいや、一瞬の喜びが、その人にとって大切なものとなって残っていくのだろう。

+    +   +
神 直子さんインタビュー
「戦争体験者のメッセージを平和につなげる」

Leave a Reply

WP-SpamFree by Pole Position Marketing