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不可視化された貧困

01.02.2013 · Posted in view, 社会

日本の貧困は、相対的貧困といわれる。それなりにきれいな服を着て、家がなくても24時間営業の店で寝泊まりでき、数百円で食事ができる。途上国とは違い、なんとか生きていける環境がある。昔のように貧困はパッ見ではわからない。

高度経済成長期に総中流化した日本人は、見た目だけの中流化を残したまま、持つ者と持たざる者の格差は一向に広がるばかりで埋まらない。落ちるのは早いが、学歴、職業、病気、障害、国籍、出身地、家庭環境、出自、いったん入り込んだ環境からは容易に抜け出ることができない。

経済成長期に「努力は報われる」と教えこまれた団塊世代の硬直した意識のなか、貧困を招いたのは努力不足、根性が足りないなどと精神論で片付けられる。また、自己責任論がまかり通る今、他人の複雑な状況に人はあまり入り込めない。貧困は学歴に比例することが多いため、貧困の原因や現状を訴えるだけのロジックを唱えられたり社会に還元する当事者が少ない。経済不安のなかで、「しんどいのは皆同じ」など一緒にされてしまう。

家庭環境や病気、学歴など貧困のきっかけになる原因を本人は恥となることからオープンにしないため、社会保障の枠組みからこぼれおち、ますます深みにはまる。暮らし、仕事、医療と縦割化された制度ではひとつが解決しても、また別の原因で困窮状態に落ち込む。連動して行わなければ、本当の意味で貧困から脱することはできない。

東北の被災者のインタビュー、下記の連載を読んで、社会的包摂の考え方による支援制度の必要を強く感じる。

●闇の中の社会学〜開沼博
http://diamond.jp/category/s-yaminonakanoshakaigaku

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