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理解できなくても、尊重すること

07.09.2013 · Posted in ことば

老人には、
いや、老人だからこそ、
消えない心の傷があるのかもしれない。

それを癒す方法は、人それぞれで、

だから周りの人間には、なかなか理解できない。

だが、大事なことは
理解できなくても、尊重することだと、

オレは思う。

〜〜〜〜〜『赤い指』 加賀恭一郎

これは東野圭吾の小説『赤い指』のドラマの1シーンのセリフである。

人は自分が理解できない他人の言動を否定しがちである。
自分にとっては当然なことでも、他人には分からないことがたくさんある。その言動には必ず意味があるのにも関わらず、人は自分が理解できない事をする他人をなかなか認めようとしない。

なぜ自分の考えばかり正しいと思うのだろう。

なぜ、自分とは新しい何かとして関心を示し、まずありのままを受け入れることを拒絶するのだろう。

自分が置かれた状況や今まで生きてきた過程では見たことも無い、信じられないような考え方や知らないことが、世界中にたくさんある。国や人種が違うだけではなく地域や育った環境、生きてきた経験で人の考え方は千差万別。

なのに自分が理解できないことを認めようとせず、否定する人が、なぜこんなに多いのか。

たくさんの経験を重ね、視野が広い人ほど、謙虚に多くのものごとを受け入れようとする。それはたくさん経験やいろいろなものを見たり聴いた結果、すべてを知り尽くし、理解できることができないことを身をもって知っているからだろう。自分の知っていることだけで判断するなんて、奢りだ、と。

相手を尊重できるかどうかは、その人間のキャパシティに関係してくる。

対等な立場であれば認められない相手がいれば、距離を置けば良い。しかし、老人や子供のように社会的弱者に対して理解できないと、相手を否定し、おかしな人というレッテルを貼り除外するか、自分の言いなりに従わせるということになりがちである。

立場的に弱い人であっても同じ人間である。その行動や発言には、意志がある。それが尊重されない場所で過ごしていれば、 立場の弱い人の尊厳はどんどん損なわれていく。

このドラマのように家族のなかで強いものが理解をしようとしないと、人の尊厳を傷つける場合が多い。家族でも学校でも職場でも社会でも、理解しようとしないところから、いじめや虐待が始まる。

「家族だから理解し合える」というのは、理想であるが、幻想である。

人と人とは完全には分かり合えない。理解できない人に対して、自分の考えをゴリ押しせず、相手を尊重することが大切だ。わかりあえないからこそ、相手を尊重しなければ、と思う。

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