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老後ビンボーの実例

01.14.2014 · Posted in 社会

長生きすれば幸せ、なんてことはなく、長生きすれば想定外のことが起こる。

家族や子ども、孫との人間関係、遺産、生活費、お墓などの金銭関係。
生前贈与のほうが税率が低いからといって実の息子や娘に資産を相続したとたん、冷たくされ、生活苦に陥るというのは典型的なパターンだとか。

老人ホームに入ったが、問題があり退去。一時金が戻ってこず、貧乏に。規約を読まなかった本人が悪いといえばそうなのだが、施設利用は注意したほうがいい。

自分が何歳まで生きるかわからないし、なってみないとわからないことばかり。とはいえ、いろいろなパターンを想定していないとどんなことになるかわからない。

人は誰でも死ぬ。死に様は、その人の人生を投影しているのだろう。
 

実例集 幸せだった老後は簡単に瓦解した 私はこうして70歳過ぎてビンボーになった(現代ビジネス)

「こんなはずではなかった」皆がそう口を揃える。食費を節約してもなお、減っていく貯金額。「真綿で首を絞められているような」日々。彼らはなぜ、悲惨な老後を送ることになってしまったのか。
◆孫も寄り付かなくなる

「老後にこんなみじめな思いをするとは思わなかった」

71歳の小林昌道さん(仮名・以下同)は、こう嘆く。

部品メーカーを60歳で退職し、現在は神奈川県内のマンションに妻(68歳)と二人暮らし。3人の子どもはすでに独立している。現役時代も決して裕福な暮らしをしていたわけではなかった。病に倒れた父親の生活を支えていたからだ。

「親父は新潟で仕事をしていたのですが、50代前半のとき脳梗塞で倒 れてしまった。麻痺が残り、仕事は続けられなくなってしまったんです。当時私は30歳前後でしたが、毎月、実家に仕送りをするようになりました。姉と妹が いるのですが、二人とも専業主婦でしたし、私が両親を支えなくてはという思いがあった。

自宅のローンもあったし、正直、苦しかった。でも、仕送りは定年まで30年近く続けました。全部で3000万円ほどにはなっていたでしょうか」

慎ましくはあったが、日々の生活に不満はなかった。孫が遊びに来ると、遊園地へ連れて行ったり、おもちゃを買ってあげるのが楽しみだった。

そんな老後の生活が想定外の方向に進み始めたのは、7年前。父親の死がきっかけだったという。

「通夜の席でのことです。姉の旦那が『親父さんの家と土地は処分し て、早く分けてくれ』と言い出した。ですが、私は親父から『この家と土地はお前にやる。姉と妹にはやらなくていい』と生前に言われていたんです。仕送りを していたので、その分くらいの価値はあるだろうから、と。そのことを告げると、今度は妹の旦那が『そんな口約束は関係ない。法的な権利はあるんだ』と口を 挟んできた。以前から打ち合わせでもしていたかのようでした。

それまで、姉、妹や義理の兄弟とは仲良くやってきていたんです。まさか父の通夜の日にこんなことになるなんて。カネが絡むと人は豹変するものなんだ、と改めて感じました」

母親は泣くばかりで、話し合いは進まない。その後、とりあえずの手段として母親にすべて相続する形を取ることになったという。

「この状態になってはじめて、自分の置かれている状況がかなり厳しいことに気づきました。貯金はほとんど残っていない。いつか親父の家を売ればいい、と考えが甘かったんです。

一日2箱吸っていたタバコも、日に5本で我慢しています。それもギリ ギリまで吸うもんだから、ほら、指がニコチンで黄色くなっているでしょう。侘しいね……。でも一番悲しいのは、孫が寄り付かなくなったこと。何も買ってあ げられないし、たまに遊びに来ても、食事代も息子に払ってもらうことになる。レストランに行って、孫に『好きなもの、どんどん注文しな!』と言ってみたい ですよ」

子育てや長年の会社勤めからようやく解放され、第二の人生を穏やかに過ごしていきたい—そう思ったのもつかの間、予期せぬところで不幸な運命を辿っていく。その原因の多くは「カネ」だという。

それまでとくに贅沢な生活をしていたわけでも、詐欺にあったわけでもない。小林さんのように、ごく慎ましく一般的な生活をしていた人にも、老後の不 運は訪れてしまう。いま急増している「70歳からのビンボー」。今回は、この苦しみを身をもって体験した人々の声を紹介していこう。

茨城県に住む北村勝彦さん(76歳)もその一人だ。

北村さんは63歳まで、同じ年の妻と二人で居酒屋を営んでいた。こぢんまりとした店で、馴染み客も多く経営は順調だったという。

「20年以上、夫婦で細々と店をやっていましたが、歳のせいもあっ て、持病の不整脈が悪化してきていた。60歳になるとき、そろそろ店をしまおうかと妻と決めたんです。当時、貯金は1000万円以上ありましたし、店舗兼 自宅のローンも終わっていた。私の体調を考えれば、そう長生きすることもないですし、老後を夫婦二人で過ごすくらいならどうにかなるだろうと思っていたの です」
◆せっかく長生きしたのに

ところが、その後、意外なことが起こる。結婚して地元を離れた一人息子が、離婚して戻ってきたのだ。

「勤めていた会社が倒産したのです。その後、お嫁さんがパートに出て 生活費を稼いでいたようなのですが、結局離婚してしまった。子どももいたのですが、親権はお嫁さんに取られ、慰謝料代わりに自宅も譲ったそうです。息子は 次の職を探す気力もなくなって、我が家に引きこもっています。生活費の面倒も見なくてはいけないし、預金はもはや400万円ほどしか残っていません。

気づけば私ももう76歳。じつは、仕事を辞めてから体調はだいぶ良くなったんです。息子がこんなことになるとは思ってもいませんでしたし、長生きすることがわかっていれば、もう少し頑張って働けばよかった」

築30年超の自宅は老朽化し、先日、天井からの水漏れも発覚した。だがリフォームする余裕もなく、耐えるしかない状況だ。

「とにかく節約できるところはとことん切り詰めるしかない。まずは食 費ですね。妻が工夫してくれていますが、鍋を3晩続けて食べていると情けなくなる。1日目は湯豆腐、2日目は白身魚を入れて、3日目は安い豚の切り落とし を入れる。こうすると野菜や出汁に無駄が出ないんです。おじやは最後の日にだけ。これが我が家の定番になりました」

70歳からは、さまざまな「想定外」の事態が起こる。そこからビンボー生活が始まってしまうのだが、北村さんが言うように「こんなに長く生きると思 わなかった」という想定外を嘆く人は多いという。医療コーディネーターとケアマネージャーの資格を持ち、数々の高齢者の相談にのってきた上田浩美氏は、こ う話す。

「医療の進歩によって、持病のある方でも長生きできるようになってき ました。ですが、とくに現在70歳前後の方は、親が80歳を超えて生きた方も多くはなく、せいぜい70代前半まで生きられればいいかと思ってらっしゃる方 がとても多い。高齢になってはじめて、このままでは家計が厳しくなると気付くのです」

医療費や食費など現役時代は気にならなかった小さな負担が積み重なり、じわりじわりと家計を圧迫していく—これも70代ビンボーのよくあるパターンだ。

「まるで、真綿で首を絞められていくような苦しさ」

都内に住む澤田彰さん(75歳)は今の生活をこう表現する。現在は73歳の妻と二人で暮らしており、受け取っている年金額は夫婦で月に20万円程度だ。

澤田さんを苦しめているのは、医療費でも食費でもなく、「墓」だという。

「祖父の代から続いている寺の檀家費用です。私は長男で、親から譲り 受けた土地と家があるので恵まれてはいるのですが、退職後はこの墓にかかる費用が馬鹿にならなくなってきました。墓の管理費や会費は年間3万円程度なので すが、寺の補修をする場合に、その都度請求が来るんです。『一口20万円として○月○日までに振り込んでください』と書かれた請求書に、振込用紙まで同封 されてくる。多いときは、年間50万円近くになったこともあるんです。拒否することもできませんし、預金から支払いました。

子どもからは檀家をやめて霊園に移ったほうがいいのでは、と言われますが、先祖から守っている墓を移すことは考えられなくて。寺も古くなってきているので、今後もさらに負担が増えるのではと心配なんです」

実際、このように墓の悩みを抱える人は増えているのだという。

「とくに都会のお寺は檀家不足で、檀家をやめたいといっても止められることが多い。昔からの付き合いは大切だからと、なかなかこの出費を抑えることができないのが現状です」(都内で民生委員を務める男性)

◆この年齢で裏切られるとは

千葉県に住む小平秀信さん(74歳)は、こんな「想定外」を経験して苦しんでいる。

「妻と結婚したのは、私が50歳、妻が38歳のときでした。当時は歳 の差を意識することはなかったのですが、私も70歳を過ぎて、先が見えてきた。今後のことを妻と話し合い、自分が死んだあとは妻にすべての資産を渡すと伝 えたんです。ですが妻は、一人になったときに自分できちんと手続きができるか不安だと言い出した。妻にはできる限り心配をかけたくなかったので調べてみる と、婚姻期間が20年以上であれば、2000万円までは非課税で贈与できると知ったんです」

そうして2年前、妻のために自宅を生前贈与することにしたという。自宅マンションの評価額は2000万円。贈与税を払うことなく妻に名義を変更することができた。

「これで妻も喜んでくれるし、死ぬまで面倒をみてくれるだろう」そう思っていた。だが、そのときから妻の態度が急変する。

何も言わずに外出することが増え、次第に食事の支度もしなくなった。そんなとき、近所に住む友人から「奥さんが若い男と繁華街を歩いていたぞ」と聞かされる。妻に問いただすと、開き直った態度でこう一言、告げられた。

「あなたが嫌なら離婚してもいいのよ」

もうそこに、優しかった妻の面影はなかった。

「離婚も考えているのですが、妻名義になった自宅から出ていかなけれ ばならなくなる。知り合いの弁護士にも相談したのですが、一旦贈与したものを白紙に戻すことはできないらしいんです。年金だって半分ほどは妻に持っていか れるでしょう。いまは家庭内別居状態で、妻に隠していた貯金を崩して生活していますが、底をつく日が来るのが怖くてたまりません」

家族に裏切られるという「想定外」。冒頭で紹介した小林さんもこれに当てはまるが、相続で家族の態度が急変するケースは、決して珍しいことではないという。

「実の息子や娘に資産を相続したとたん、冷たくされ、生活苦に陥ると いうのは典型的なパターンなんです。資産のある方は、一度専門家に相談しておいたほうが安心でしょう。小平さんのようなケースについて言えば、2015年 に相続税が増税されるため、資産を早めに贈与してしまおうとする方が増えていますが、注意が必要。配偶者に資産を渡す場合、税金面ではまだ相続のほうが負 担は少ないのです」(相続コーディネーターの曽根恵子氏)

家族に迷惑をかけないために、老人ホームへの入居を考える人も多いが、そこにも落とし穴はある。

都内に住む倉本孝明さん(71歳)は、70歳になったとき自宅マンションを1500万円で売却し、都内の有料老人ホームに夫婦で入居した。一時金は1000万円。毎月の支払い約25万円は、なんとか年金で賄える金額だった。

「息子夫婦に世話になるよりも、老人ホームのほうが気楽でいいと思っ たんです。死ぬまでここでのんびり生活しようと考えていた。ところが、いざ入居してみると、大声で騒ぐ人や根拠のない噂話をする人などがいて、居心地が悪 くて仕方なかった。施設の人に相談しても埒が明かず、1年後に退去することにしたんです」

退去を申し出ると、手元に戻ってきたのは一時金1000万円のうち、たったの300万円。抗議しても「施設の規定によって算出した金額です」の一点張りで、結局それ以上返金されることはなかった。
泣くに泣けない

老人ホームへ入居する際は、その施設の規定を確認しておかないと、取り返しのつかないことになってしまうのだという。ライフカウンセラーの紀平正幸氏はこうアドバイスする。

「『一時金の返却は規定によって返済される』という旨が契約書に書か れていれば、返金がどれだけ少なくても法律違反にはならないのです。ただし、昨年老人福祉法が改正され、新しい施設ではこのようなことは起こらないのです が、昨年4月以前に開設している老人ホームの場合、2015年3月までは従来の約款が使用できるため要注意です。退去時の一時金返済がどうなっているかを 必ず確認してください」

また、老人ホームには、入居中に要介護度が上がると、月々の費用が上がったり、場合によっては退去しなくてはならないケースもあるので、事前に確認 しておいたほうがいい。認知症の妻を介護している山岸忠志さん(78歳)は、施設の費用が払えなくなり、在宅介護に苦しんでいるという。

「5年前に老人ホームに入れた妻の症状は、どんどん悪化していきまし た。入居中に骨折して寝たきりになってしまい、費用が上がったんです。もともと年金で賄っていたから、そんな余裕はない。いろんなところに相談したけど、 親身になってもらえるところはなく、最終的に特別養護老人ホームの入所待ちをしながら自宅で看ることにしました。

でも、手すりやトイレの改造などでカネはかかるし、貯金はほとんどなくなってしまった。妻は夜中に徘徊し、時には暴力をふるうようになりました。長く生きるだけ苦しみが増えるなんて、泣くに泣けません」

「なんとかなるだろう」そう思って生きていても、70歳を過ぎると予想だにしなかったことが次々と生じてしまう。家族に裏切られてしまうこともある。70歳からのビンボーを避けるためには、どうすればいいのか。

「70歳を越えてから、自分では想像もできなかったことが起こること は多々あるのです。そのときになってから考えるのでは、手遅れのこともある。不測の事態に備えるためには、前もって老後の設計をしておくことです。目安と しては、自分が親の介護を始める年齢になったら、自身の老後について考え、蓄えもしておくべきでしょう」(前出・上田氏)

最後には、自分の身は自分で守るしかない。今からでも遅くはない。幸せな老後を送るために、一度、真剣に考えてみてほしい。

「週刊現代」2013年11月16日号より

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