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日本のテレビは、ヤラセでできている。

07.18.2014 · Posted in Media

難病や大事故などのドキュメンタリーは、世代を問わず感動与えられるからか、よく特集番組が組まれる。

国内でもしばしば患者側の意図と違った内容で放映されて問題になることが少なくないが、海外での日本のメディアの行き過ぎた取材姿勢、倫理観、人権感覚の無さは、日本のメディアに関わる人間のレベルの低さを表している。

この早老症疾患『プロジェリア』の患者のミヒルくんに対する取材の酷い内容。

国内ではまかり通ってきたから同じ手法を使ったのだろう。

ドキュメンタリーといえど、視聴率を稼ぐためにシナリオありき。取材した内容を元に、より現実に真摯に編集でまとめるなどといった手法はとられていない。実際の様子を動画としておさえたとしても、都合のよいように編集し、わかりやすい感動物語に捏造して、いくらでも印象操作はできる。事実をつなぎあわせても、取材された側が伝えたい内容とはほど遠い内容に変えてしまう。つまり、絵の素材は事実であっても、伝えたい真実ではない、ヤラセである。

テレビというメディアから流される内容のほとんどは、「ヤラセ」「ウソ」と考えたほうがいい。

メディア側の制作スタッフはほとんどが外注なので、局のプロデューサーの意向通り制作しないと、切られる恐れがあるため、黙って従わざるをえない。要は、局の高給取りの正社員の感覚が下品で質が低いのである。

●取材された難病少年も静かな怒り、日本の海外ロケの無茶
(WEB RONZA 2014年07月15日)
http://webronza.asahi.com/global/2014071400001.html

「ぼくは世界中のドキュメンタリー番組で人生を語ってきた。ベルギー国内5回、フランス2回、ドイツ2回、イギリス1回、そして日本2回。たいがい楽しくやったけど、日本の取材班にだけはほとほと困らされた」。世界でも希な難病を患うベルギー人少年ミヒル君(15才)は、昨年出版した自著の中で、日本からの取材班がいかに虚構を描こうとするか、静かな怒りを込めて書き綴っている。

(中略)

■「それは僕の顔じゃなかった」

 ミヒル君の病気は、全身の老化が異常に早く進行してしまう早老症疾患『プロジェリア』だ。世界で確認されている存命患者数は40名ほど。平均寿命が13才位とされること、また、ミヒル君の家族では兄妹で揃って罹患していることなどからメディアの注目を浴びてきた。

 日本からのテレビ取材を受けたのは2009年のこと。取材当時、平均寿命とされる13才にそろそろ近づこうとしていたミヒル君を前に、カメラは『死の影に怯える悲壮な少年と家族』を描こうと必死だった。サッカー選手になりたいという将来の夢を語らせておいて、「でも、君に未来はないよね」と声をかける。それでも涙を見せないミヒル君を、とうとう祖父の墓まで連れて行き「もうすぐ、君もここに入るんだね、大好きなおじいちゃんに会えるね」とたたみかける。

 ミヒル君はこう回想する。「ぼくの目に涙が出てきたら、彼らはズームアップして撮った。その顔を後で見たけれど、それは僕の顔じゃなかった」と。ミヒル君の父親はとうとう爆発し、「もう止めだ。偽りの姿を見せたくはない。私達家族は悲嘆に打ちのめされているわけではない。それが気に入らないなら、荷物をまとめてさっさと帰ってくれ」と叫んだという。

(中略)

■台本ありきで手っ取り早く

 「お土産なんか買いに行くことはない」というミヒル君をショッピングに駆り出し、普段はしないパパの出勤お見送りを小さな妹とともにやらされたという。

(中略)

ミヒル君のケースであからさまなのは、人道や倫理の意識の乏しさだ。ミヒル君に涙を出させるためには手段を選ばない。筆者はこれまでに、幼い子ども、病気や障害を持つ人、性志向上の少数派などの取材にも関わってきたが、制作側の勝手な都合で早朝や夜中まで長時間取材を続けたり、番組の本質に無関係なデリケートな質問を興味本位で繰り返したりと、人間性を疑いたくなるようなことも少なくなかった。

(後略)

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