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避難所でのコミュニティづくりを〜赤プリの避難所で

05.15.2011 · Posted in 子ども, 社会貢献, 震災復興

今週、都内の避難所となっている、グランドプリンス赤坂にボランティアに行った。
東京弁護士会が、赤プリの一室を学習室として小中学生に学習支援をしている。私がいった午前中は、小学生タイム。3名の小学生がやってきたので、そのうちの1人の5年生に、算数のドリルをやってもらった。久々に小数点の算数問題を解いた。だんだんのってきて、もっとやりたいというので、計算問題をつくって出したところ、一生懸命解いていた。小学生の集中力はすごい。

●きれいだが、冷たい雰囲気の環境

赤坂プリンスは、約800人が暮らしているそうで、全員福島県の人らしい。ここの入居期間は6月末まで。閉鎖された東京ビッグサイトや味の素スタジオから移ってきた人も多いという。ベビーカーを押す人もすれ違ったので赤ちゃんから高齢者までいるようだった。あの大理石の空間でエレベーターで居室までのぼりおりする雰囲気は、避難所といっても、被災地の避難所とは、全く印象が違うものだった。

受付で顔写真のパスをもらわないと階上には上がれない。パスがあっても居住エリアには、一切立ち入り禁止。居住者と会う場合は、受付で呼び出し、受付横にある面談コーナーで会うことになっている。まるで病院だ。

受付の下の階には、ずらーっとコインランドリーが並ぶ。ざっと20台以上はありそう。白い大理石の空間に並ぶコインランドリーは異様。
同じフロアには、ペット用の部屋もある。部屋といってもケージをおける棚が並んでいる感じ。居住空間にはペットは持ち込めないので、ペット用の部屋からペット出入り口を通り(人の出入りする受付とは別)散歩に行ける。

私が訪ねた被災地の避難所は、体育館のような広い場所に、ダンボールでかろうじて仕切りをしているだけのプライバシーのない空間。大人は忙しそうに仕事をし、炊き出しの手伝いをしながら、おしゃべりをしていた。顔見知りなのかもしれないが、コミュニティが形成され、みんなで協力し助けあって暮らしていた。

一方、赤プリはすれ違う人と会釈をする人もいれば素通りしていく人もいる。身なりも都内に暮らしている人となんら変わりはない。都内の高層マンションのような雰囲気で、同じところで暮らしている連帯感などはなく、大理石の空間のせいか冷たい感じがした。避難所という名称からは程遠く、環境としてはとてもいいのだろうが、何かしらの違和感があった。

ここにいる人たちは、福島に帰ろうと思えば帰れる、家がある人で、原発のために避難してきた人。原発事故が収束したら、いずれ帰ろうと思っているだろうし、放射能のことを考えれば、都内に住む可能性もある。6月末以降、どこの避難所になるかわからない。ほんの数ヶ月先も見えない人たち。そういう宙ぶらりんな状態では、新しい生活に向けていろいろな事を決めていくのも難しい。ものすごいストレスなのではないか、とても心配だ。

●どの学校に通学するか

学習室については、午前中なのに、なぜ小学生がいるのか不思議に思った。スタッフに聞いてみると、今週あたりから千代田区の学校での入学の説明会が開かれているという。都心の小学校は、随分、福島の学校とは随分違うだろうし、子どもたちもなじめるかどうか、親も子どもも不安にちがいない。いったん入学しても、7月以降、住む場所が変わるとなると、また転校することになる。違う環境で短期間で転校するのは、子どもにとって大変な負担。でも勉強が遅れるのも心配。今、通ったとしても、いじめなどに遭わないか、馴染めなくて不登校にならないか・・・・親の悩みはつきない。簡単に決められないにちがいない。

●提供される食事、いいのか、悪いのか

食堂のメニューは6種類。ハンバーグ、さばの味噌煮、ぶりの照り焼き、カレーライス、ハヤシライス、牛カルビ丼。入居者は無料。外部の人間は一律500円。昼も夜も同じメニューだとか。トレイに2つの皿を乗せて並んで進んでいくと、ずらっと並ぶ白いコック帽をかぶったおじさんが、さば、ご飯、味噌汁・・と置いていってくれる。食堂は、西武の人たちが運営しているという。驚いたのは、カレーライスとハヤシライス。大きなお湯を入れたケースにレトルトの袋がつかっていて、ハヤシライスを頼むと、レトルトの封をきり、お汁粉をいれるようなお椀に入れ、ハイっと渡してくれる。野菜は自分でトングで入れるのだが、その横に「トマトは1人3個」という札。すごくみじめな気持ちになった。

メニューは少しは入替があるが、ほぼ同じらしい。毎日はとても食べられない。赤坂が近いから美味しいものはあるかもしれないが、お金がかかる。普通のスーパーもないし、部屋では調理できない。子どもやお年寄りの栄養バランスは大丈夫なんだろうか。

●人とのつながりの希薄さ

生活、仕事、子どもの学校のことなど、不安なことが山積みのなか、これからどのようにして、暮らしていくのだろうか。ちょっと散歩や買い物するような場所もないし、子どもが遊べるような公園もない。体調が悪い人や高齢者などは、高層ビル暮らしでは、外出が億劫になるだろう。各部屋の訪問なども行っていないようなので、孤独死や虐待があってもわからない。居住者の自己責任ではなく、定期的な健康診断が必要なのではないか。

「歌で、料理で、イベントで、元気づけたい」、「◯◯相談にのります」などなど、民間企業や団体、NPOなどさまざまな支援の話があるそうだが、今のところ、ほとんどが受け入れられていない。ひとつ受け入れると、収集がつかなくなるからだという。

弁護士や司法書士などが輪番で担当する何でも相談の窓口のようなものはあったが、頻繁に利用されてる雰囲気でもなかった。まず、生活の基盤をどうするかの方針ができない限り、相談のしようもない。まして東京という環境は地方とはあまりにも違うはずだ。たくさんの悩みや不安のなかで情報を整理して、具体的な解決につなげる手助けが必要である。民間やNPOをシャットアウトせず、行政がもっと有効に積極的に使う気はないのか。

被災地に比べれば、プライバシーが守られた清潔である程度の広さがある居住スペースは、十分な支援なのかもしれない。それ以上の支援は贅沢という考えもあるだろう。一般の人間にとっては住む場所があればいいのだろうが、被災して心身ともに不安やストレスを抱えている人たちに、あとは、自分でやれというのは酷なのではないか。民間やNPOなどに依頼すれば、共有スペースでのイベントなどを低予算で行い、コミュニティづくりの支援はできるはずだ。コミュニケーションをとるのが難しい閉鎖的な環境では、生きる活力を見出すきっかけづくりまでは、行政はすべきではないかと思う。

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