現代はストレス社会だといわれる。会社にいても学校にいても、家族といて
も友達といても、気を遣い、場の空気を読むことに気を配らなければいけない
ということがストレスの一因にもなっている。
1人でいればストレスがないかというと、そうでもない。あらゆる方向から
入ってくる様々な情報に触れるだけでも、ストレスが溜まるという人も少なく
ないだろう。
先日、久しぶりにあった友人が姑との暮らしにストレスを感じるとぼやいて
いた。ご主人が中学生の時に父親が他界した後、会社の経理、掃除婦など1日
に3つの仕事をこなしながら、女手ひとつで二人の息子を育て上げた。姑が建
てた立派な家には、ご主人の弟夫妻が住んでいたが、転勤したため友人夫妻は
3人の子とともに、引っ越してきた。
友人には大学生の長女と長男、中学生の次女がいるが、パッチワークやデコ
パージュなどの趣味を持ち、東京の新スポットやファッションもチェックし、
スイミングにも通いながら、きちんと家事もこなす、本当にきちんとした女性
である。私のように仕事にかこつけて、家事や育児に手を抜くような人間では
ない。
しかし、友人の家での家族会議は、姑、ご主人、長男のみで、彼女は一切話
の輪に入れてもらえないという。家の資産や姑の所有する株、他に家賃収入があ
るらしいことは何となく知っていても、「仕事もしてない専業主婦は、義母に
とって家政婦にしか見えないのよ」。だから一緒に食事すると、「あれとって、
これやって」と頼まれて落ち着いて座って食べているヒマはないという。
そんな姑にも、「こうしてあげた方がいいと思って」「急に○○いうことも
あるだろうから」といろいろ気を遣って生活している友人を見て気の毒になっ
た。そんな扱いをされているなら、こっちも好きなようにすればいいのではな
いか。
「それができれば、楽なんだろうけどね」
わりきることができないのは自分のせいであって、「こうしてあげた方がい
い」というものさしを作っているのは彼女本人。「せっかく考えてこうしてあ
げたのに」結果的に無駄になったり、それに対するねぎらいの言葉さえなかっ
たりすることに、不快感を感じストレスなる。自分の考えの縛りから抜け出せ
ない自分にジレンマを感じ、ストレスを溜めているのである。つまり、姑の存
在がストレスなのではなく、自分の考えによってストレスが生み出されている。
そういえば、私の中にもたくさんあるなと気づいた。たぶん、こうなるだろ
うからそれを円滑にするためにやったことが全然役に立たなかったとか、相手
からの全く予期せぬリアクションに憤りを感じたり。結局、自分のストーリー
通りにいかないことで起きる感情が、少しずつ澱のように溜まっていく。
ストレスの第一の原因にあげられるのは、人間関係。ストレスの原因になる
人がいなくなればいいという発想で事件が起きたり、最近は「ストレスが溜まり、誰でもいいから殺したかった」という理由で殺人事件が起きる。でも
そんなことでストレスはなくなるはずはない。
よく考えると、ストレスを生みだしているのは、自分ではないのか。自分が
変わり、自分の考えを変えられるようにならない限り、ストレスはなくならな
いにちがいない。
小さなことを気にする人は、「○○はこうでなければいけない」という自分
の考えに縛られていて、そこからはずれると「なぜ?」「あの人、おかしいん
じゃない?」などいろいろ余計な考えが巡り、気になってしまう。そんな自分
の考えにいちいち左右されるより、ありのままをただ受け入れる包容力のある
人間のほうがストレスは溜まらないのだろう。
---2007.5.10 (c) Mica Okamoto ---
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