“普通じゃない人”に対する日本人の対応
LGBTについてメディアでも流れ出したのは、この2〜3年ほどだろう。
昔は、触れてはいけないタブーだったのが、オネエタレントの出現で存在は認知され、嘲笑の対象となった。
その頃に流行った保毛尾田保毛男をそのままのノリで放送したら、非難轟々。
今の社会の雰囲気のなかで、そのまま放映したら、そりゃそうなるでしょう。
本来、時代の雰囲気を真っ先に読んでエンタテインメントに変えてきたメディアの人間なら、もう少し考えてやりゃあいいのに、本当に昔の視聴率のステイタスは、そのまま理解されると思ったのか。
視聴率が何十%も会った頃の、あの人は今的な昔ネタや昔の番組を平気で垂れ流している大手メディアの人間に、そんなことを考える頭の人間は残ってないんだろうね。特にCXだし。
でも、ミッツ氏がいうように、くさいものに蓋的な発想しがちな日本人も、もう少しなんとかならないものか。
短絡的な善悪で判断して終わらせる、「なぜ悪と捉えられるのか、悪と処理したくなるのか」という感情のプロセスを考えない日本人も、進歩がなさすぎる。
そういう国民性なのかなぁ。村八分大好きだし、同調圧力で、考えずに周りにあわせるだけで生きている人が多いし。
自分と違う人間、普通と言われる人とは違う人の存在を受け入れて、考える力は持てないのかなぁ。
よくよく見たら、自分だって、普通かどうかわからないのに、ね。それさえも考えないんだから。
まあ、日本の教育がそういうことを身に着けさせてないのにも、原因はあるだろうけど。
だから、メディアが大々的に流す嘘情報を鵜呑みにするし、外圧の大声にもなあなあで従ってしまうし、反社会的なリーダーに引っ張られるとズルズルと引きずられてしまうのかもしれない。
自分の頭で考え、自分の足で行動して、生きることを実践しないと。人のせいで死ぬことになる。
●ミッツ・マングローブ「保毛尾田保毛男を狩る、分別できない人たち」〈週刊朝日〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171013-00000080-sasahi-ent&p=1
ーーー『差別的なものに蓋をする』だけでは、何の意味もないことにそろそろ気付かないと。『多様性への理解と配慮』なんて聞き分けの良さそうな言葉を軽々しく口にするのなら、『普通じゃない人が隣にいる違和感』を、自分なりに分別し咀嚼する感性をもっと尊重し、磨かないと。ーーー