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基地問題を抱える沖縄の女性と政治の関わり

01.28.2011 · Posted in Interview, 女性問題

沖縄女性史家  宮城晴美さん

●沖縄の女性史をまとめる

「沖縄の歴史によって複雑にできあがった家父長制や祟り思想。大昔からのしきたりを信じている人たちへ、その社会慣習の呪縛から解くために講演活動を行っています」。

宮城さんは、沖縄戦の開戦直後、軍の強制から600人を超える住民が「集団自決」を迫られた慶良間出身。「集団自決」から生き残った祖父母と母をもつ宮城さんは、「母の手記」を元に、30年をかけて住民の証言を聞き取り、『母の遺したもの』を2008年に出版。10年をかけて、前近代から戦後までの那覇の女性史の編纂に携わった。

米軍基地問題で揺れ続ける沖縄は、戦後65年もたつのに、未だに戦争が残した傷跡に翻弄されている。戦争が落とした影の残る沖縄の社会について宮城さんに女性の視点から語って頂いた。

1998年5月15日~16日、嘉手納基地第5ゲートで「女たちのゲート」。基地の存在を抗議してフェンスパフォーマンス、沈黙の行進、テントミーティングなどを行った。

●沖縄独特の男尊女卑の社会慣習

沖縄は男尊女卑の風潮が強く、未だに独特の家族観が根強く残る。宮城さんは、歴史を遡ってその社会慣習を理解しないと、米軍問題や経済問題の解決策は見出せないという。

「琉球王国時代、1609年に薩摩の支配が始まったときにできた、身分制度(「士」が30%、「農」が70%)で、士族の暮らしに門中制度ができます。それは中国の儒教思想からきたもので、男系血族で家系を相続していくのですが、女性を完全に排除するほど強くははなかった。これが明治に入り、本土からの役人に追い出された士族が領地に都落ちすると、士族の慣習を百姓も真似するようになった。明治31年に施行された明治民法によって門中制度が強化され、男性の家長が絶対、長男が必ず後を継ぐ、女性が支えるといった矛盾に満ちた社会慣習が、祟り思想へと繋がっていくんです」。

祟り思想とは、先祖を大事にする儒教の思想からきた「親や先祖をおろそかにすると祟りがある」というものだが、沖縄の慣習と融合して、親の位牌を長男が相続する位牌相続が強化され、長男以外の娘や娘婿などが継ぐと子や孫に祟りがくるという思想になっていった。交通事故にあえば、家族や親戚のなかでそれを犯している人がいるのではないかと親戚内で犯人探しが行われるのである。

「1957年1月1日に沖縄で新民法が施行されるまで、女の子は家督を継げなかった。しかし、軍用地料支払いや遺族年金が始まったのは53年。その4年間に、祟り思想が強化されてしまったんです。父が戦死した家で娘しかいないと、父親の兄弟の次男や、いない場合は祖父の代に遡って親戚の男性が継ぐ。見知らぬ人に財産を持って行かれるんです。日本の法律では娘が継いで当然なのですが、慣習の方が強いために、娘が継いで祟りがきたら困るといって親族が許さないんです」。

信じられないような話だが、未だにその慣習に縛られている人は多く、疑問を感じながら宮城さんの講演を聞きにくる老夫婦も少なくないという。
「大学で学生に話しても、皆、知らなくてきょとんとしていますが、結婚して子どもが生まれて何かあると信じざるをえない状況になるんです」。

2001年10月7日~8日、米軍のアフガン空爆に抗議して行われた「女たちの24時間行動」県庁前で。

●米軍支配による影響

宮城さんが、戦後、米軍支配が始まってからの米兵の性犯罪について調査したなかには、結婚した女性がレイプされて男の子を産んでしまったときに、死産や捨子にしたケースがあったという。

「かつて、基地近くにはレイプで生まれたらしいという子どもがたくさんいました。でも地域で箝口令を敷いてしまう。訴えても犯人がわかるわけでもなく泣き寝入り。『襲われたお前が悪い』と夫や親族に言われ、被害にあった女性も子どももひどい虐待にあっていた例は少なくありません」。

沖縄には、位牌相続とのからみで、男性のDV(ドメスティック・バイオレンス)も多い。家族、特に母親や祖母から大事に育てられた男性が、妻に母親像を求めることによる甘えから妻に暴力をふるう。また、戦地から帰国した男性が、今まで敵だった米軍の基地で働くことの屈辱から基地の仕事のなかでも差別やいじめが起こり、それを家族に向ける男性もいたのだという。


「看板・ここは沖縄の土地」基地のゲートにある看板(左)。必要なのは「米軍よ!基地外行動に沖縄県民の許可を求めよ」

さらに不況による影響も大きい。
「敗戦後、沖縄の第二次産業は米軍の独占。そのため製造を育成することができず、第一次産業も零細で、経済構造がひじょうにいびつ。復帰前なら基地収入が50%を超えていましたが、今は5%あまり。観光に頼らざるをえない」。

基地問題で揺れる名護市は、振興策の費用として1年間で1000臆ものお金が入ったことになっているが、市民所得は下がっている。実際には利権絡みで、半分以上のお金は本土のゼネコンに流れていると言われる。

「沖縄の女性議員の数は、非常に少ない。一方、地縁血縁が重要視される田舎に行くと、仕事がない男性を議員に推すということもあります。女性はお嫁さんしていればいいが、男性には親戚が職業を与える気持ちで。そういう人がなれば村政を批判する人はいない。地域コミュニティや地縁血縁の意識が非常に強い。そのため、沖縄の地域によっては、村外の人と結婚したら、自治会にいれてもらえない場合もある。その夫婦の子は、地域の子ども会にも参加できない。そのあたりにも、沖縄の家督制度と米軍の軍用地料などが複雑に絡み合っているんです」。

●基地問題と女性

1995年9月に沖縄で起きた米兵による少女暴行事件が起きた。それを契機に、同年11月4日、95人の女性たちが呼び掛けて「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」が発足した。宮城さんは、その一員である。

2000年7月「海兵隊員による少女への性暴力に対する抗議集会」自宅で就寝中の女子中学生が襲われた。この基地の島・沖縄で「安全な所はどこ?」軍司令部前で。

「米兵による女性のレイプ事件を基地問題のひとつと訴えた当初は、男性たちに『女性の問題で基地問題を矮小化するな』といわれた。それまで米兵による女性への犯罪がマスコミにも取り上げられなかったのは、古くからの社会慣習が背景にあるからです。95年の北京の世界女性会議の際に、基地問題のなかの女性被害に着手すべきとデータを元に会の代表の高里鈴代さんが報告し、北京から帰ったきた空港で、少女の事件についての記者会見でようやく新聞に載るようになったんです」。

1995年10月には、米軍の犯罪をアメリカ国民に知ってもらおうと沖縄の女性たちがアメリカに行き「ピース・キャラバン」を行った。1997年、沖縄で米軍基地被害に遭う女性たちが集まる「国際女性ネットワーク会議」の第1回目会議が開かれて以来、ワシントン、沖縄、韓国、フィリピン、サンフランシスコの順で開催されて、2009年のグアムでの第7回目の会議には、アメリカ、フィリピン、韓国、日本、プエルトリコ、グアム、沖縄の女性が集まった。

「なぜ、戦争が起こったのかを真剣に考えるべきです。戦争の流れは急に始まるものではなく、日常的に戦争に繋がる事象に対して、みんなで止めていこうと言わないといけないと子どもたちに話しています。ですから、基地は移転ではなく、撤去というべきです」。

沖縄には、普天間飛行場が返還された後の跡地利用構想として大きな経済効果が期待される計画が発表されている。しかし、沖縄県民のなかには「やっぱり基地がないと経済的には苦しいんじゃないか」という人もいる。

「今、目の前のことだけを断片的に見て判断するのではなく、歴史を遡って、本来はどうあるべきかという根本的なところから考えるべきです。沖縄の問題っていうのは、急に今があるんじゃない。女性史を研究していくと、ジェンダー=政治だと強く感じます」。

米中との国際関係の間で揺れる日本政府の思惑で基地問題を一方的に押し付けられてきた沖縄は、歴史を振り返ってみると、ずっと国家間の大きな圧力による犠牲になってきた。沖縄県民が普通に暮らしていけるためには、県民自体が自主独立の考えを固めるとともに、国民としても考える姿勢を持つことが重要である。

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宮城 晴美さん
慶良間・座間味島出身。沖縄女性史家。沖縄大学・琉球大学 講師。
高校で那覇市に渡り、沖縄の総合月刊誌『青い海』の記者、編集者、ライターを経て、那覇市女性室・那覇市史編集室(現・那覇市歴史博物館)にて、前近代から1500年までの那覇の女性史をまとめた。沖縄の基地問題に取り組む「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」会員。

Int’lecowk(国際経済労働研究所発行)2011年1月号に掲載されたものです。

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