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良い支援のつながりとは

03.27.2012 · Posted in view, 震災復興

東北から都内に母子避難している中学生3年生が都立高校の受験に失敗した。経済的に厳しいため、私立の滑り止めも受けていない。合格発表後に公立で探すとなると定時制くらいしかない。

避難生活でゆとりもなく、避難所暮らしなどの環境の変化、どこに住むのか今後の見通しも見えない状況での受験勉強は、さぞかし大変だっただろう。東北と都内では、高校に関する考え方、学校選びなども全然違う。

地方は公立高校にいくのが一般なので、公立中学校の進路指導も教育内容も、ある意味きちんとしている。「15の春を泣かせない」と中学校の先生は絶対に受かる指導をするのが基本。一方、都内は私立の人気、公立高校も学校による格差が激しいため、高校受験のための塾通いは当たり前。なかには、保護者が公立高校を信頼していないのもあり、学校側が進路指導も塾まかせにしているところもある。中2くらいで、「塾にいってください」と平気でいう教師もいる。実際、公立中学校の教員は私立高校の事情には疎い場合も少なくない。

経済的に苦しい場合は、塾通いもままならないし、私立併願もできないので、ものすごいプレッシャーのなかでの受験になる。
塾に行ってないと、学力もよくわからず、ふさわしい学校選びさえできない。

都内ではそんな状況なので、塾に行けない子のために、学習支援をしているNPOいくつもある。
この受験に失敗した子も、あるNPOの支援を受けていたらしいが、落ちてしまってから保護者が別の団体に、今から受験できる高校を探すために助けを求めた。その団体が、NPOが支援していたのになぜ失敗したのかを聞いたところ、「学校の先生が、学力より上のところを挑戦させたせいだ」というようなことを言ったそうだ。

耳を疑った。「じゃ、そのNPOは、なんのために支援してきたのか?」と。
避難して、経済的に苦しいから、絶対に合格させなければいけないはずではないか。塾に行けないから、学校のミスジャッジを見越して支援しないといけないのに。結果が出てから、言い訳したって遅い。

ダメだったときに、定時制高校やフリースクールで途中編入など、次の方法まで考えて支援してないのだろうか。NPOだから、無償で学習支援をしているから、そんな結果が出ても仕方がない、というような、中途半端で無責任な支援ならヤメればいいのに。腹が立った。

高校受験は、その子の一生を左右するのに。塾だったら2次試験できるリストやいろいろな情報も準備している。どうにかして高校に進学させるのに。落ちました、そうですか、では済まされない。進学のための学習支援は、最後まで面倒みるべきじゃないだろうか。

●無責任な支援のせいで、別の支援が必要に

助けを求められた別の団体は情報を集め、被災者支援ということで学費免除の高校を見つけてきた。保護者としては、学費免除で、高校に進学できるならと受け入れたが、他県だった。それも通える範囲ではない。高1での、一人暮らしになる。

その別の団体は、その学校を紹介したが、住宅探しの面倒まではみなかった。いくら学費免除といえど、被災者で親子離れて暮らす案を出すなら、落ち着いて学校生活が始まるところまで支援すればいいのに、と私は思う。

そこで、保護者は、また別の団体や支援者にヘルプを求めた。そこから、ホームステイや一時受け入れなど、いろいろな情報が集まり、受け入れてくれる方が1日も関わらず現れた。

この支援の連携の素晴らしさは、本当に感動した!!

困っている人を助けたいという人たちが、手を尽くしてくれて目的を達成するためにつながっているこの状態は、本当の市民力の強さである。公的な制度ではできないだろう。支援の内容があっても、支援を欲しがっている人に届かないことが、とても多いなか、こういったネットワーク、誰に何を聞けばいいか、頼めばいいか、選別し見つけ出す個人の情報ネットワーク力が、もっともっと高まれば、素晴らしい社会になると思う。

●つぎはぎの支援ではなく、総合的に良い結果になる支援

被災して避難してきた家族が、さらに離れ離れになるのが、本当にいいのか。そんな提案をするのが、本当に良い支援なのか。
お金がかからないことを優先することが本当にいいのか。どうなのだろう・・・。

その名乗りをあげたくれたところにお世話になるかどうかは、いろいろな条件を検討しながら慎重に決めたいと保護者は悩む。今の時点でまだどうなるかわからない状態だ。

支援してくれる人には感謝しているだろうし、何か多少無理があっても、受け入れざるを得ないだろう。支援される側は、本音をすべて言えない。まして、子どもは、親を困らせないために、我慢をする。本当にいいのだろうか?

支援がつながることは、とても素晴らしいこと。でも、だからといって、ある支援のマイナス部分を、別の支援がフォローする、ということの連続や、つぎはぎの支援でいいことはない。もちろん、ひとつの団体できる支援は限られているが、その団体でできないことは、連携していくべきだろう。支援される側の状況をきちんと把握して、どうなるのがいいのか、いろいろな情報を駆使して、ベストな答を一緒に見つけ出す努力を最後までしないといけないのではないだろうか。

支援する側にも限界があるのはわかるが、その分野のプロではないからこそ、支援を途中で途切れさせない努力をして、最後までできないときは連携が必要だと思う。最初の団体が下手に支援しなかったら、別のもっといい支援に結びついていたかもしれない。

支援する側は、支援を求めている人に、きちんと寄り添って、総合的にみていい結果に落ち着くまで見届ける必要があるのではないか。ただ、そこまで多岐に渡って寄り添える団体や支援者は少ない。だからこそ、「支援なのだから、全部はうまくいかない」という気持ちが残る支援ではなく、個々の得意分野を活かした支援の輪をつないで、いろいろな意味で「良かった」といえるような支援になれることをめざすのが大事なのではないだろうか。

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