fine-club.project approach with well-balanced mind for a balanced life

普通と当たり前

01.22.2013 · Posted in view

岩手で被災者支援をしている方にインタビューした。
「岩手は、”恥の文化・我慢は美徳”。離婚は、ワガママ女のレッテルを貼られ、夫のDVや借金から逃げてきても、我慢できない嫁が悪い、といわれる。旦那や姑に文句をいわれても、殴られても我慢が当たり前。ひとり親の母親が必死で働くために高齢者に子どもを預けると、子どもに面と向かって「悪いお母さんだね」といわれる。嫁は我慢してその家に従う者という意識が男性だけでなく、高齢者にも根強い」。

東京と東北の文化は違うと知っていたが、それほど違うのかと、改めて、その土地の”当たり前”の感覚に驚いた。もちろん、地方にいけば、離婚した女性への風当たりが強いのは知っていたが、それほどまでか、と。東京からすると、何十年前の感覚だろう。
今や日本は3組に1組が離婚する「離婚大国」なのに、女性だけが責められる現実。

いつまでも女性だけが悪者にされる日本社会は、おかしいと思う人は多いが、一向に変わらない。なぜ、女性だけが悪者で当たり前なのだろうか?
 

●何世代も受け継がれる価値観

この”普通”や”当たり前”のものさしは、生まれ育った家族のなかで植え付けられるものだが、その人の人生に大きな影響をもたらしているのは当然だろう。

あるカウセリングに通う男性は、ずっと親からダメだ、馬鹿だといわれ叱責し続けられ、職場でも人間関係がうまく築けず、友人も少ない。しかし、実は、IQが140もある、ひじょうに知的レベルの高いことが大人になってわかった。

勉強はひじょうにできるが、人間関係や日常の細かいことが苦手だったそうで、その点について親からずっとひどい仕打ちを受けてきた。自分は出来が悪いと思い込み、自信がない。非常に自己肯定感が低い。

この方の父親はブルーカラー系だった。母親は父に従順。そんな家庭では、一般的な能力を客観的に評価されるのではなく、父が気に入るかどうかで、『いい子』『悪い子』が決まってしまう。この男性がもっと別の例えば学術関係の家庭で生まれ育ったなら、ひじょうに評価され、天才といわれたかもしれない。

成人までに植え付けられた価値観や自己評価は、大人になっても続き、マイナス部分が多ければ、ずっと自信がなく、うまくいっている満足できない人生になりがちである。

必要以上に卑下せず、自分らしい人生を歩みには、小さいときから植え付けられた”当たり前の感覚”から解放されなければならない。自分が思っていることを当たり前だと感じて、のびやかに生きるには、大きな修正が必要である。
 

●各家庭のルール

子育て中にも各家庭の”当たり前”で議論になる。
門限が大人になっても18時の家庭もあれば、中学になれば、22時になる家庭もあるし、小3で塾にいくから携帯電話をもたせるのが当然という家庭もあれば、中学卒業するまで絶対ダメという家もある。ゲームを何歳からさせるか、ゲームの種類の制限なども各家庭であるし、髪を染める、化粧をする年齢も様々。
こんなことは些細なことかもしれないが子育て中の親にとっては、いつも悩みの種になる。

もっと生活の根本的なこと、食事のマナー、職業観、お金の使い方、本当にバラバラ。ルールは必要だが、本人の尊厳をないがしろにしてルールに縛り付けるのは、よくない。頭越しに従わせれば、自分で考えて行動できないことで「考えるのが無駄」と思い込み、無気力・思考停止の人間が生まれる。

あくまで、なぜそのルールが必要か、理由を説明し、理解をさせるよう努めるのが、親の役目ではないだろうか。頭ごなし、過干渉、自分で決められない状況が続くと、生きる意欲はなくなり、社会にも適応できなくなるのではないか。
 

●改善しない環境の裏には何が

前出の岩手の支援者が「DVのような犯罪まで我慢して、自分の人生を棒に振るのはおかしい」といっていたが、東北にはDVが多いのに、実際に声をあげる人が少なく、声をあげられず、離婚などの実力行使に移せないのは、周りの理解があまりにも低いという環境があるからだろう。

疑問に思っていても、自分もそういうふうに教えられた、従うように育ったから、次世代にも同じようにする、というのは、まったく学習も改善も見込めない。自分が辛かったのに、次の世代が楽になるのは納得がいかないという考えなのだろうか。自分たちの子や孫が、自由に楽しい人生を歩み個人の能力を伸ばすことを妬むというのは、本当の意味で、愛情を感じていない、もしくは、人を愛せない人なのだろう。縛られた環境を居心地が悪いと感じながら、継続する心情のウラには何があるのだろう。そうやってしか、コミュニティを守れないと思っているのだろうか。

大人になって生きづらい、人間関係がうまく築けない人は、自分が思ってきたことを実践する機会を奪われ、納得できない家庭のものさしを押し付けられたせいで、自己がきちんとつくりあげられなかったという場合が多い。

親から受けた仕打ちを自分の子どもにしないようにと思いながら、いつの間にか、負の連鎖を繰り返している。いつか、断ち切りたいと思いつつも、その方法を知らない、なんとかしようと思ったが周りに阻まれ、あきらめた、という人も少なくないだろう。

そのコミュニティでおかしいと思った、「普通」「当たり前」の感覚から逃れるには、相当なパワーが必要。自分を信じて、自分が納得いく人生を歩める環境を手に入れるまで、闘い続けるしかないのだろう。

Leave a Reply

WP-SpamFree by Pole Position Marketing