震災から3年目を迎えて
大震災のあの日、
「当たり前のことが、当たり前じゃなくなった」と感じた人は多いと思う。
生きていることも、
家があることも、
家族がいることも、
友人がいることも、
今日とほとんど同じ状態で、明日を迎えられるということも。
いいこと、悪いことの基準も変わったと思う。
震災後の一言、行動で、
「あ、あの人は、こんな人だったったんだ」
と気づかされた。
たぶん、それは、いつも見えていたはず、感じることができたはずなのに、
自分が見てなかった、感じるセンサーが鈍っていたんだと思う。
自分の心の眼は、ちゃんと使ってないと、濁ってしまったり、
ただ漫然と視界に入っているだけで、
眼に映る何かをきちんとわかってなかったりする。
4月に南三陸のあの地にいったときに
得も言われぬ感覚。
あそこで感じた言葉にできない感覚こそ
人が生きていて感じる感覚だったのかもしれない。
それと同じ感覚が、今の日常ではいつも起きないし、
それほど感じていると、毎日を過ごせないと思うけれど
あの感覚を思い起こすことで、
見るべきもの、気づくべきものを、身体で受け取ることができるのではないか
と思う。
人として、この世に生を受けた意味を、これからも感じていきたい。