己を知っている人はモテる
人は皆、自己中心的である。いくら自分が自己チューではないと言いはっても、自分のモノサシで考え判断するわけなので、いくら人のため、社会のためと思って動いても、ある程度は自己中心的なのである。
本物のワルは、自分がどれほど悪なのかを知っている。良い部分があったとしても、悪い部分が多いからこそ、良い部分なんてないと、逆に潔く悪を認める。人から「なんて悪い奴だ!」と罵られても、素直に認める。その現実を見据えた潔さが、カッコよく見える。
ヘタにカッコだけ悪ぶっている者ほど、いざというときに、「本当は悪くない」、「そこまで悪いことをしていない」などと言い訳したり逆ギレする。だからカッコ悪い。日頃から悪いと見られるようなことをしているくせに、最終的には良い人のそぶりをしようとする。人として信用できないし、がっかりさせられる。
人はなぜか、人から嫌われないようにするために、良い人ぶりっ子をする。ワルぶるなら徹底すればいいのに。
「なぜワルに惹かれるのか」
ワルは潔く、自分を認めている部分が、人として信用できるので、モテるのではないないか。
自分の良い部分もあれば、悪い部分も自覚し、素直に認める人は、己を知っている人。そういう人は、自分をよく見せるためにウソをつかない。
●天使のような少女が本物のワルに惹かれるのは当然だった
http://www.kaynotes.com/archives/7435156.html(一部抜粋)
そして、「ワル」は悟りにすら近いのだ。
その意味を、できるだけ丁寧に(もちろん無料で)説明する。「ワル」は、自分が本当に悪いと思っていることで、自分が見えているのだ。
そして、実際、自分をしっかり見ている。
一方、「似非ワル」は、自分が悪いと思っていないので、自分が見えない。見ようとしない。自分から目を背けるのだ。
なぜそうなるのか?
そもそも、「ワル」の忌むべき面とされる「悪い」とはどういうことか?
言うまでもなく、自己中心的、利己的、欲深で、即物的(物質的なことを優先する性質)・・・ということだ。
こう言うと、「似非ワル」は、「俺はそうじゃねえなあ」と思う。
いや、ほとんど誰もが、「私は違う」と思うし、そう主張する。せいぜいが、「そりゃ、人間だから少しはそうかもしれないけど・・・」と言うのだ。
しかし、ワルは、「それがまさに俺だ。文句あるか?」と言うし、実際にそう思っているのだ。
だが、上に述べた、「ワルの嫌な面」である「自己中心的、利己的、欲深で、即物的」ではない人間など、絶対に1人もいないのだ。つまり、なんと、「ワル」だけが、自分をしっかりと、正しく、素直に見ているのだ!