宮城県南三陸町 被災地(1)戸倉小学校・中学校
4月10日〜12日、東日本大震災で被災した、宮城県南三陸町の現地調査に行った。町は、津波で壊滅的な被害を受け、何もない光景を目の当たりにし、唖然とするばかり。「想像を絶する」「途方に暮れる」とは、こういうことをいうんだろう、と体感した。
【戸倉小学校】
この一帯で残ったのは、新築されたばかりの、この戸倉小学校の建家のみ。あとは、津波でさらわれてしまっていた。何もないところに、ぽつんと、戸倉小学校の白い建家が立っている。
近くで見ると本当にひどい。左側にあるのは体育館。屋根がはがれ落ちている。開館式もまだだったそうだ。
戸倉小学校の白い建家が、なぜか、凛として見える。
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戸倉小学校の子どもたちは、1人を除き、全員無事。亡くなった子は、1人だけで、その日お休みしていたお子さんだった。
学校の先生が警報とともに、校舎にいた子どもたち全員を、奥にある山の上にある五十鈴神社に避難させたそうだ。先生の気転で高台に全員を避難させなかったら…と思うと考えるだけで恐ろしい。その夜は津波で街がなくなり、雪も降る真っ暗ななか、先生と子どもたちが寄り添い、焚き火をして、夜を過ごしたという。
3・11の記録→戸倉小ホームページindex>震災のつめあと1
親たちは子どもを引き取りに行きたいが、津波のあった街を通る恐怖もあり、迎えにいくこともできず、道のない山のなかを獣道を手探りでたどりついたという。
【戸倉中学校】
戸倉の町から坂を登ったところにある、戸倉中学校。
戸倉中学校は、町全体を見下ろせる高台にある。ここに通っている子たちは「あのへんが、うち」とかいう感じで見えてたんではないか、と思う。それが、このように何もない状態になってしまっている。白くぽつんと見えるのが、戸倉小学校。
こんなに高台にあるのに、1階教室の上の窓が壊れている。
下の写真は、1階教室の窓。下の窓の4分の3あたりのところに、ここまで津波がきたという、水の痕跡が残る。
なぎ倒されたフェンス。
中学の土台となる地面も崩れそう。
教室の裏側(グランド側)から見た校舎。時計は、津波がきた、2時50分くらいで止まったまま。
グランドの向こう側にある体育館。2階の窓もほとんどが割れた。
校舎から体育館に行く渡り廊下。屋根やバキバキに壊れ、植木やライトがぐにゃりと曲がったのも津波の仕業。
これらぐちゃぐちゃに壊れた車は、体育館の2階のベランダに乗っかって見つかったという。
グランドに並ぶ、自衛隊の車。
正門もとりあえず残っている感じ。破壊されなくてよかった。
正門あたりから海を見下ろすと、屋根も中身もなくなった家が、とりあえず立っている。海はこんなに町を破壊しつくしたとは思えないほど、静かだった。