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放射能による健康被害と家族

09.20.2011 · Posted in view, 原発・放射能, 子ども

放射能の食品への影響が深刻だ。特に、小さい子どもがいる家庭の母親は、食品の産地表示、放射線測定値を気にする人も増え、なかには、学校や保育園の給食をお弁当に替え、牛乳を飲ませない代わりに水筒を持たせる人もいる。小さい子どもを持つ親が、放射線による内部被曝をどうにかして防ごうというのは切実な思いだ。

そんな心配するママたちのなかで、こんな話を聞いた。
 
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●Case1
Aさんは、小学校低学年の長男Bくんには、登校班でマスクをつけさせ、給食はお弁当に替え、牛乳は拒否して水筒を持参。マスクもお弁当もクラスでBくん1人のみ。
Bくんは、ある朝、学校に行きたくないと訴える。理由を聞いてみると、マスクとお弁当のことを、友人にいろいろ言われたらしい。
Aさんは、息子のことを思って「給食や牛乳を飲んだらお腹が痛くなったり病気になって、学校行けなくなるんだよ」と。
”放射能の影響”といった言葉を使うと、息子がそのまま学校でその言葉を発してしまい、他の子どもたちが家に帰って「給食食べると、放射能で病気になるんだって」みたいなことを話されるとまずいから使えない。

Bくんは、なんとなく説得されて学校に行ってるが、最近、元気がない。Aさんから言われて外で遊ぶことも減り、友人と約束してくることもほとんどなくなってしまった。

 

●Case2
東京近郊に住むDさんは、小学生の子ども2人と夏休みに関西の実家に帰省。放射能の影響に不安を感じて引越しを考えており、夫には実家のある関西に転勤か転職するよう促している。

実家の父母は最初は孫が長くいることに歓待していたが、徐々に疲弊。主な原因は食事のことだった。
いつも子や孫がくる時にはいろいろな食べ物を用意しておもてなしする両親は、ちょっと高級な牛肉、近海の魚、果物・・・など、「あれを食べる?これを食べる?」を連発。

今までなら、めったに食べられないごちそうといって喜んでいたDさんだが、今回は出されたものをことごとく、「それ、産地はどこ?」「牛肉は、危ないからいい」「近海ものの魚なんて、とんでもない」と子どもたちが食べるのをいちいちチェック。そのうえ冷蔵庫をのぞいて「この牛乳、暫定基準上回ってるっていわれてるから捨てるよ」「福島産の野菜なんて、なぜ、買うの」などと整理し出した。

食事の度に、「それ、どこ産?」と言いながら子どもたちに「それ、食べないで」という姿に業を煮やした両親は、「食事の度に文句をいわれ不愉快。食事は別々にしよう。自分たちが食べるものは、自分で買ってきなさい」。食事は別々、会話も少なくなった。

8月末近くでやっとDさんたちが帰った後、両親2人ともに体調を崩し、母親は欝っぽくなってしまった。

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母親として、わが子の内部被曝を防ぐために必死なのはわかる。
でも、子どもの意欲をそぎ、友人関係が悪くなり、いじめや不登校、引きこもりになったりしたら、どうするのだろう。子どもの気持ちよりも内部被曝のリスクを優先して、子どもに強いるのは、子どもの嫌がることをするという側面から見れば、虐待と同じになってしまう。子どもの気持ちに寄り添い、心の健康に配慮するのも親の役目である。将来の命の危険と、現時点のメンタルケアを天秤にかけて、どう判断するのか。

また、高齢の両親のQOLを低下させてストレスから体調不良にさせるのも、高齢者への配慮に欠けているのではないか。老後を楽しく暮らそうと思っている人たちに、放射能汚染による暮らしの変化を強いるのは、ある意味、健康被害をもたらしているといえる。

今まで仲良く平和に暮らしていた家族に、原発事故が原因で、ひびや歪みが生じている。放射能汚染による健康被害をどう考えるかは本当にバラバラで、家族だからといって同じではない。放射能の食品への影響は、食卓を直撃し、今までの暮らしのものさしを根底から揺るがしている。

もちろん、悪いのは、原発事故を起こした東電であり、きちんと対応しない国や行政である。今すぐに事態が急変しない今、毎日をどう暮らすかが目の前の問題である。

この母親のように放射能を極力回避したいという人は、放射能による健康被害だけでなく、それぞれのコミュニティで生きる家族の暮らし方まで、配慮をしてから言動できないものだろうか。現実的には折り合う地点がないかもしれない。しかし、人間には心があることだけは、忘れてはいけない。将来の健康のために、家族がぎくしゃくしながら毎日を精神的苦痛を伴いながら暮らすことと、ひょっとしたら病気になり寿命が短くなってしまうことになるかもしれないが家族と笑いながら暮らすのと、どちらが良い人生といえるのか。究極の選択かもしれないが、よく考え、お互いによく話し合うべきだと思う。そして、折り合わない場合、自分の正論を押し付けるのではなく、相手の価値観を尊重するのが家族ではないだろう。

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