「他人」と「過去」は 変えられない
「他人」と「過去」は 変えられない。
「未来」と「自分」が 変えられる。
今の自分は 過去のあなたの行動の結果。
これからの行動を変えればいい。
「他人」と「過去」は 変えられない。
「未来」と「自分」が 変えられる。
今の自分は 過去のあなたの行動の結果。
これからの行動を変えればいい。
完璧な人間なんているわけない。
すべて正しい行いをしている人なんて、この世にいない。
この世に知らないことはたくさんある。
善悪は表裏一体。所変われば、すぐ裏返し。
「自分は正しい」とゴリ押しする人って劣等感の裏返し。
「私は正しい」
争いの根は ここにある
https://twitter.com/ssmuf…/status/634903473528528896/photo/1
国民年金のことで問い合わせ。
委託されてるアイヴィジットに対応してもらったけど、念のため管轄の年金事務所に確認したほうがいい、今日は7時までやってるのでと言われ電話したら、「今日は終了しました」と自動音声。
なんじゃそりゃと思ってアイヴィジットに再度連絡したら「こちらでは7時までと聞いています。上司に確認します」
で返答。
(さらに…)
結婚相手としてふさわしいのは、
お互いが子ども返りしてもいい相手。
居酒屋に行って酔っ払った時の二人の関係みたいに。
夫婦関係なんて酔っ払いだと考えればいい。
スタートの多くは恋愛で互いに幻想をもって
酔っ払ってるんだから。
相互に独立した大人、
成熟した男と女のカップルなんてのは、いない。
みんな地雷踏まない程度の距離感を保っているだけ。
みんな、人より優位に立ちたいんだね。
人それぞれ、十人十色なのに。
本来なら優劣なんてないのにね。
人を見下さないと、やっていけないっていう人は多い。
それは、幼少期から「認められない」「蔑まれてきた」という背景があるからかもしれない。
そこで、自分がされて嫌だったことを、なぜ、繰り返すのか?
人にはいろいろな能力がある。
それをいろんな角度から認める能力を身につけていかないと。
自分を信じないで、誰を信じるのか?
他人のことを信じて、鵜呑みにして、何かあったら、人のせいにするなんて、
責任逃れ、現実逃避でしかない。
自分で考えて出した答えに従って進む。
どこで失敗したり寄り道したとしても、考えるというプロセスは貴重な体験。
その体験があると、次に失敗しない、別の視点を見つけられる。
人をあてにしていると、いつまでたっても学習しない。
自分を信じるしかない。
【 思考停止 】
時々 誰を信じればいいんですか?
っと言う若い人がいるが
(さらに…)
小学生の作文に、人と人、家族の理想が描かれている。
相手を気遣うことができる家族、
ひとつの現象を違った角度で見て、それを言葉にできる人間関係。
相手を慈しむ心、謙虚さ、感謝・・・
みんなが、こういうふうになればいい社会になるはずなのに。
今日私が学校から帰えると、お母さんが「お兄ちゃんの机を拭いていたら金魚鉢を落として割ってしまった。もっと気をつければよかったのに、お母さん、悪かった」と言いました。するとお兄ちゃんは「僕が端っこに置いておいたから、僕が悪かった」って言いました。
でも私は思い出しました。きのうお兄ちゃんが端っこに置いたとき私は「危ないな…」って思ったのにそれを言わなかったから、私が悪かったといいました。
夜、帰ってきてそれを聞いたお父さんは「いや、お父さんが金魚鉢を買うとき、丸い方でなく四角い方にすればよかったなぁ。お父さんが悪かった」と言いました。そしてみんなが笑いました。
うちはいつもこうなんです。
うちの家はいつもみんなが悪いのです。高木 善之・著 「ありがとう」(地球村出版) より
いつでも会える、
今度会った時には言おう、
と思ってたって、
相手が亡くなったら、もう二度と会えない。
もう言葉も交わせない。
今、この瞬間、思ったことを伝えないと。
出会えたこと、話しあえることを感謝しないと。
知識と経験
このバランスよくないと、実生活に活かせません、というのが持論。
本や文献ばかりたくさん読んでいても生身のケースにあってないと、リアリティがない。
たくさんの知識や情報を知っている人がそれを話しても、リアリティがなければ、響いてこない。
その知識を実生活にどう活かすか?
活かし方は人それぞれ。
知識だけでもダメだし、経験ばかりでもダメ。
いざという時に使うには、知識と経験のつながり。
たまには、恐怖体験すると、人生にメリハリ出ていいと思う。
信じられない、非日常の体験をするから、日常の貴重さを実感する。
毎日、楽しく、ハッピーより、時々、辛いめ、しんどいめに遭わないと
幸せにも気づけない。