問題に向き合う姿勢
どんな問題が起こるか、
と、びくびくしていたら、
本来やりたいこと、やるべきことに力を入れられない。
もし、問題が起こっても、
自分がどう解釈し、どう行動するか。
その問題に、真摯に向き合い、
解決する心構えがあれば、
大丈夫なんじゃないか。
どんな問題が起こるか、
と、びくびくしていたら、
本来やりたいこと、やるべきことに力を入れられない。
もし、問題が起こっても、
自分がどう解釈し、どう行動するか。
その問題に、真摯に向き合い、
解決する心構えがあれば、
大丈夫なんじゃないか。
「一度もやったことがないから・・・」
「資格や学がないから・・・」
「もう、若くないから・・・」
「ブランクがあるから・・・」
いやいやいや、どんなことも、スタート時点では、初心者。
何をやるにしても、遅くはない。
他の人より習得が遅くたっていいじゃない。
あきらめたら、何もできない。
まずは、始めること。
“やりたい” “やってみたい”と思ったときが、やりどき。
「自分は正しい」と思っている人は、何も学習しない。
正しいと思い込み、他を受け入れない。
「自分が正しい」と思い込んでいる、根拠は、一体なんなんだろう?
人、ひとりが知っている知識や考えうる思考なんて、たかが知れているのに。
ところ変われば、見方も変わる。
ここでは正しくても、あっちにいくと間違いに転じることもある。
コミュニティや構成メンバーが変われば、ベースになる価値観も変わる。
国や文化が違えば、常識も変わる。
素直さ、謙虚さ、思考の柔軟さ、客観性は、常に大切。
「自分の人生の責任は自分でとる」
「 1.定収のために、自分を犠牲にする人生
2.定収がなくなって家族を路頭に迷わせてでも自分のやりたいことをする人生 」
とあるが、定収がなくなっても、家族を露頭に迷わせない方法を考えればいいんじゃないか?
好きなことをするには、リスクはつきもの。
そこを天秤にかけて、やっていく覚悟があるかないかの問題。
「自分で決める」ことは、自分の決断に責任をとり、その結果、起きることに覚悟を決めること。
自分の人生、自分が納得いくように送るほうが、いいに決まっている。
ただし、その決断で迷惑をかけたら、その責任は本院がとるべきだが。
当たり前のことだが、自分の人生なのに、他の人の責任にしている人は多い。
●ノータイムで決断するための6つの考え方
http://www.lifehacker.jp/2014/11/141104book_to_read.html『一瞬で人生が変わる! 1分間決断法』(石井貴士著、SBクリエイティブ)の著者は、そのように主張しています。また、そのための有効な手段である「1分間決断法」を学べば、4つのものを得られるのだとも。
1.決断したあとの「食いのない未来」が手に入る
2.他人に決められる人生ではなく、自分で決める人生を送れる
3.人生において、迷っている時間をなくせる
4.失われた時間を事前にカットできる
(「まえがき」より)
(さらに…)
こんな人とはつきあいたくない。
ウソを平気でつく人
人の話を聴かない人
自分の意見がない人
主体性がない人
向上心のない人
同じミスを何度もする人
学習しない人
自分の話ばかりする人
人に迷惑をかけても気づかない人
子どもを大切にしない人
自分で調べない、自分で考えない、自分で行動しない人
実力とかけ離れたプライドだけが高い人
自分の言動に責任を持たない人
常に何かに依存している人
現実逃避している人
自分をごまかしている人
自分の置かれたポジションでやるべきことをやろうとしない人
目の前にある問題を後回しにする人
人に対する配慮が欠如している人
変えられるものと、
変えられないもの
を区別をつけられる人は、
精神が安定的。
変えられるものを見つけ、そこに次のヒントを見出す。
変えられないものを、なんとかして変えようとしたり
変えられないからといって文句をいったりするのは
エネルギーの無駄。
あなたのために、誰かのために
と思って働くのも素敵だけど、
そのときの自分はどう?
人のためだから、辛くても仕方がない、我慢しなければならない、
なんてナンセンス。
そんな方法では、長続きしない。
自分が大好きなことを、夢中でやってたら、
いつのまにか周りが喜んでくれていた。
役に立ってた。
というのが、理想じゃないだろうか。
自分のために生きるか。
他人のために生きるか。
答えは、片方ではなく両方。
どちらかに片寄った時にうまくいかなくなる。
転んでも転んでもまた立ち上がる。
それは、確かに大事かもしれないが、
同じことをして転んでいてはダメなんじゃないか?
視点を変えて、
転ばないようなアイデアや、
立ち上がらなくてもできるアイデアなど
別の方法を考えて、歩み始めるほうがよいと思う。
学習して次に進める能力は、誰にでもあるはずだから。
努力
と
長い時間頑張る、
長い時間耐える、
ことを、混同しないこと。
日本人にありがち。
自分の問題は、どうしていいかわからず、手がつけられなかったり、いろいろやったせいで余計にこじれて自己嫌悪。
すると、自分の問題は置いといて、他人の似たような問題が気になって、やたら真剣に介入したくなる。
他人の問題は、自分の経験を有効に使い、客観的に精査し、的確な対応を提案するので、うまくいったりする。 すると、そっちに味をしめ、そういう他人へのアドバイスに精を出す。下手にコツをつかんでどんどんうまくなると、人から信用され、尊敬されもするようになる。他人から褒められれば、うれしいから、また精を出す。
しかし、自分の問題は、放置のままなので泥沼化。
本来、自分の問題を解決するために、誠意やエネルギーを注ぎ込めばいいのに、他人に感謝されることに気持ちよくなり、奢り高ぶる。そんな状態で、自分の問題に手を入れようとするから、さらに解決から遠のく。
代償行為による現実逃避をしても、根本的な問題は解決しない。