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子どもの心を尊重するということとは

06.20.2011 · Posted in 子ども

「子どもの心のケア講座《遊びを使ったケア》」は、遊びを通して具体的な子どもとの関わり方についての講座で、わかりやすく、現場で役に立つことばかりでとても良かった。佐藤信一先生は、東京シューレで、不登校やひきこもりの子どもを相手にしている先生である。現場の体験話が、本当に生きた内容だった。

●子どもは遊びで心の回復をはかる

子どもは遊びを通して現実を認め、消化していく。今回の震災のようなとても大変な非常事でも、遊びで体験をし直して乗り越えていく。

被災した子どもが、「津波遊び(手つなぎ鬼のように津波に襲われたら手をつないでいく)」をしているのを見て、心配する親の声を聞いたことがある。「ショックを思い出すんじゃないかと思って止めさせた」という人も。

佐藤先生は、積み木で家や町をつくっては「地震だ!津波だ!」といって壊す&作るを繰り返す子どもの例を挙げた。「これは感情で受け止めたショックを遊びを通して現実として受け止めようとしているプロセス。なので止めさせずに、その気持ちにつきあい、一緒に関わっていくことが大事」だという。

また、子どもと遊ぶためにやってきたボランティアが、遊ぼうとしない子に、「これで遊ぼう」とか、本人が遊んでいるものとは別のものを提案して「こっちのほうが面白いよ」などと無理に遊ばせようとするのは、よくない。あまりしつこいと、子どもが気を遣ってボランティアの遊び相手になることも。「遊びたくない子には、そばで寄り添ってあげるだけでよい。何をするかは、あくまでも子どもに主導権を持たせることが重要」。本人のそのままの気持ちを尊重するのが大事なのだ。

大事なこととして、
*子どもに本来備わっている生きる力を信じ、ひとりの人間として寄り添う。
*3つの「あ」
「あせらない」「あきらめない」「あるがままに」

セミナーや講座で「子どもを尊重する」「子どもの心に寄り添う」という言葉はよく聞く。しかし、現場では、どう見ても「子どもを尊重」したり「心に寄り添う」とは思えない言動をしている大人をよく見かける。子どもが話したがらない、つらそうにしている場合、手助けをしてあげようと、結果的にああしろこうしろと指示している場合もある。大人たちは、知識は知っているため、その概念にそって子どもを尊重しているつもりなんだろうが、全く子どもの気持ちを尊重してないこともある。それに、全く気づいてない場合も多い。

子どもたちは、言葉でうまく表現できないので、「この人は、ダメ」と思うと、心を閉じてしまったり、適当にあわせてしまったりするので大人が気づかない場合も少なくない。子どもは大人が思っているよりも、はるかに気を遣っている。

「子どもの仕事は、遊び」という言葉があるように、子どもは思いっきり遊ぶのが自然。なのに、おけいこごとや、あれやこれや知識を身につける、遊びといえばゲームや携帯など、大人が作ったなかでの遊びが増えている。こんな子どもの暮らしが当たり前だと思っていたら、子どもの心を見る目なんて養うことはできない。

●人に寄り添うとは

佐藤先生もおっしゃっていたが、「競争社会で人と比較して、自己主張することがいい」という価値観にどっぷりつかって育つと、相手より自分の良さを主張することを考えがちだ。下手に相手の気持ちをうまく想像して理解してしまうと、自分のなかでいろいろな感情が出てきて前に進むのに邪魔をする場合もある。そうやって、感じないことをめざして生きてきた大人もいるにちがいない。

ボランティアしようとする人は、以前のように医療や福祉、教育関係者だけでなく、バリバリと競争社会でのビジネスをこなす人もいるわけで、そういう人たちは今までの価値観が、支援姿勢にも影響するのではないだろうか。昨日のアンケート結果でも、「自分でロールプレイングしたとき、相手の心を尊重する声がけは、難しかった」という人も少なくなかった。実際の現場で、子どもの心に寄り添うには、訓練が必要になると思う。

また、少子化で周りに子どもが少ない環境では、子どもに接する機会も少なく、今の子どもがどういう言動をしているかをあまり知らない人もいる。昨日の質疑応答で、「『死ね』という汚い言葉を繰り返し使う場合も、子どもの言動を尊重しないといけないのか。止めてはダメなんですか」というのがあった。最近の子どもは、ゲームを連打しながら「死ね、死ね」と言ったりするのも普通だし、男子ならレンジャーごっこで、かなり乱暴な遊び方をすることも多い。女子は、男子より言葉遣いが悪い子も少なくない。

我が子でもいつもと違うような過激さがあれば「学校で何かあったのかな?ストレスがたまってるのかな」と気づくし、子どもの友達のなかでは、ちょっと度がすぎる子がいたりして心配になって他のママと相談したり、実際に子育てしている人は、そのあたりのさじ加減は承知のはずだ。いちいちハラハラしていたら、子育てなんてやってられない。

まだ子どもがいない人などは、「子どもは弱くて守るべき存在」「無邪気で素直」といった自分のなかでつくりあげた子ども像をイメージして、「子どもなら支援してあげられる」という感覚の人も少なくないのではないだろうか。そういった先入観でくると、乱暴な子や自分のいうことを聴かない子に、「こんなはずじゃなかった」といって無神経な言葉を浴びせたりして、二次被害を与えることもある。年配の人で、教えたくてしょうがない人が、説教を始めるのは最たるものだ。

「子どもはかわいいから支援したい」「子どもだから、いろんな支援をできる」というのは、裏返せば、「大人は、いろいろ注文や文句が多いから支援しづらい」「大人のなかでは、それほど自分は役に立てないから支援できない」というようなことにもつながる。

「尊重する」「心に寄り添う」というのは、子どもに限ったことではなく、すべての人間に共通すること。でも、実際にやってみると簡単でない場合が多い。いつも相手を尊重しながらコミュニケーションしているかを大切にできればと思う。

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