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被災しながら、被災地で支援する人の想い

03.31.2012 · Posted in 震災復興

被災地の友人(女性)からメールがきた。
「自分は被災地の人間ですが、気持ちはボランティアの方と同じ。被災地の人は支援される環境に甘えている人も多く、そこから自立を促すには、どうしたらいいか、自分は何ができるか、ずっと考えています。でも、答えはでません。
東京から見て、今の被災地、支援の在り方、今後のことについて、厳しくてもいいので、率直な意見をください」

彼女の家は、運良く大きな被災は免れ、壁や窓が壊れた程度。そのため、早くから私設避難所として多くの被災者の支援を行ない、被災しながら、東京や外部からの支援を被災地の個人や現場につなぐために、一生懸命がんばっている。「被災地で支援と支援の狭間で、こんな困ったことが起こっている」、「支援からもれた◯◯な人がいる」というような被災地でないとわからないニーズを伝えてくれたり、「東京のメディアが◯◯な人を取材したいと探している」という場合、注意を重ねたうえで、取材者の橋渡しをしている。

被災地には、メディアに無配慮な取材をされて、嫌な思いをした人は本当にたくさんいる。被災地のことを知ってもらおうと勇気を出して顔を出して話したのに、同情をかうようなストーリーだけを流されて、一番、肝心な伝えたいことはカットされる、なんてことは、日常茶飯事。そんなメディアと被災地の間に入って、メディア側の人間を見極めることは、二次被害を防ぐために重要だ。中央のメディアの記者は、被災地について不勉強な人は多いし、どこまで真剣にそのテーマで取材したいか、本当に人次第。彼女は、ときには、複数の被災地の人の声を集めたうえで、顔出しや名前出しを拒否する人たちの代わりに代表で取材されたりもしている。

そんな間に入っていると、支援する側と支援が必要な側の温度差や微妙なズレに挟まれ、見たくないものも見えてしまう。報われないこともあるのではないだろうか。だからこそ、今の被災地の状況がどう捉えられてるのか知りたいし、自分もどう対応すればいいのか、悩んでいるのだろう。まだまだ支援は必要だが、被災地のいろいろな面が伝えられており、それが、今後の支援が途切れる原因になっても困ると思う一方で、いっそのことなくなれば、気付いて自分でやらなければならず、そのほうがいいのかも、という思いもあるのかもしれない。

最近、雇用支援で求人募集をしても応募してこない(「仕事はあるが集まらない」 被災地雇用の現実  3月23日 日経新聞)、被災地で義援金がパチンコに消えているなどが、報じられている。◯◯だからやめよう、という単純な話ではない。表に出た情報だけでは、本当のところはわからない。もっと背景から見なおさないと問題の解決にはならない。

自立を助ける支援

支援する側は、困っている人がいたら支援しなければと思うが、ただ与えるだけの支援は、もらい癖がついてしまい、自立を妨げることも少なくない。自立を助ける支援がとても大事なのだと思う。

支援は、被災地にいても都会にいても、めざすところは同じ。その支援をきっかけに、困難から抜け出し、次のステップに進んでくれればいいが、その支援をきっかけに自立する人もいれば、支援にすがり続ける人もいる。

阪神大震災のとき、友人の実家兼お店が全壊し、両親と兄家族は避難所にいたが、早々にそこを出て自分でプレハブ建てて営業再開した。私の実家も少し被災していた(水道破裂と壁や床のひびやズレなど)ので、全壊の場合、うちの実家より早くにちゃんとお金が出るのを知っていた。「なぜ、待ってなかったの?」と友人に聞くと「避難所に何もしないで残ってる奴らは、たかり癖ついたり、浮浪者と同じや。あんなんと一緒になるかい」といっていた。支援を待ってから立ち上がるのも、その前に自分なりにアクションを起こすのも、自立のために何をするか、そのタイミングを決めるのは本人なのだ。

何もないところからでもかけずり回って必死で自立をしようとする人、ある区切りまでの支援を受けたらそれ以降は自分でと考える人、もらえる支援はできるだけ欲しい人、こんな支援がないのはおかしいと自治体や国に対して訴える人、人それぞれ。誰がよくて、誰が悪いというのはない。その人の選択だし、人生を決めるのは自分自身。

支援をもらい続けたい人は、そういう考え方の人なので、「支援を待つよりも、自分で自立する方法を考えよう」と説得しても、なかなか理解されづらいだろう。そういう人を見て心を痛めるより、こんな支援があれば、それをきっかけに立ち上がりたいという人を支援することを優先するのでいいのではないか。被災された人たちの状況は、本当にバラバラで、目に見えること(家・仕事・家族・経済的状況など)だけでなく、目に見えないこと(被災による心的な影響、メンタルの強さ、性格、親戚や友人や知人のつながりなど)も考えれば、同じようには考えられない。

みんながみんな、同じように前向きに立ち上がるのは、無理だと思う。そこは割り切って、必要としている人へひとつひとつ支援をつなぐこと、つないだら終わりではなく、見守りつつ支えになることが大切なのだと思う。

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