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「福島からの母子支援ネットワークシンポジウム」第2回 レポート

03.31.2012 · Posted in 子ども, 震災復興

2012年3月19日、「福島からの母子支援ネットワークシンポジウム」第2回 「福島からの母子支援について考えよう!」が、東京しごとセンターで開催された。東京に母子避難する人たちとそれを支援する人、約80名が集まった。

福島からの避難母子たちの現状

第1部、コーディネーターを務める、武蔵大学の武田信子教授から、冒頭「ここに集まっている人たちは、なんとかしたいと思っている人たち。知りたい、コミュニケーションしたいという思いで、互いの状況を知らず、些細な言葉で傷つけあってしまうかもしれないが、わかりあうために情報交換しようという会であること」を共通認識しようという言葉が印象的だった。

その後、福島から避難されている母子についての現状が報告された。
現在、原発が原因の難民は約33万人、そのうち6万2610人が福島県外避難者(24年2月20日現在)、年を越して避難生活より福島に戻ることを選んだ人もいて、1月から2月にかけて全体に減少し、東京都についても7525人と、25人減少したことが報告された。

福島からの避難母子の立場は、強制避難・自主避難、離婚・別居・同居、圏内避難・県外避難、家族親類の賛成・反対、原発関係者・非関係者など、さまざまな立場があり、一括りにはまとめきれない。その複雑さのあまり、多くの人の共感を得られず孤立しがち。そのうえ、刻々と変化する情報に振り回され、「誰を信じていいのか」「どの情報が信頼できるのか」と不安を募らせ、家族内での意見の相違や新しい土地での不安や緊張、子どもの心身の状態への不安を抱えながら暮らしている。そのなかで、無責任で無自覚な他人の言動に傷付き、ストレスを抱え、発散する場所もない状況なのだ。

東北の方の我慢強さでの遠慮や、差別されるのが不安で声をあげられず、多くの人との関わりを避けがちになることによって、今の状況が外にうまく伝わっていかない。また、個別避難だと都会では母子家庭も多く転居数も多いので目立たず、支援の届かない現状が生まれてしまっている。

子どもにおいては、就学児は学校で把握されるが、未就学児・乳幼児は把握が難しい。また、就学児は学習支援の必要が周知されている一方、未就学児の遊びの支援の必要性が一般化されていないため、支援からもれている。未就学児を抱えた母は、動きたくても、子どもを置いて動けない、助けの声をどこに届ければいいか、とても大変な状況なままである。

しかし、各地では、地元の同じ立場の人同士の交流の場づくりや情報交換の活動が始まっている。
福島県生協連が主体となって行なっている「福島の子ども保養プロジェクト」(休日や週末を利用して保護者と子どもを山形県天童市の温泉地で過ごす)や、NPOや各種団体が一時脱出や永住の支援を行なっている例をあげた。
 

白河市「たんぽぽサロン」永野美代子さん

今回のシンポジウムのゲスト、永野美代子さんは、被災後、緊張・ストレス・罪悪感で疲弊しているお母さんたちがくつろげる場所の必要性を感じ、福島県白河市で「たんぽぽサロン」を5月10日にオープンさせた。コタツを置き、お茶を飲み、おしゃべりしながら笑っても泣いてもいい場所として地元のお母さんの貴重な居場所になっている。

たんぽぽサロンブログ

◆福島民友新聞 子育ての悩み相談を 白河に「たんぽぽサロン」開設

 

「子育て支援センターのような場所には行きたくなかった。子どものために行っても、どこからきたか聞かれるのが嫌で、なるべく人と話さないようにしていた。ふさぎこんでいると『あの人、大丈夫なの?』と思われるかもしれないため、いつも元気なふりをしていた」とサロンにきたお母さんがしばらくたってから話すのを聞いて、永野さんは本音を吐き出せる場所になっていることを実感し、たんぽぽサロンの必要性を痛感、本当にやってよかったと思ったそうだ。

「福島の地元紙・福島民友新聞では毎日1面は、原発記事。最初の見開きには、昨日の圏内の放射線量の数値が並び、他には避難者がどこでどう頑張っているという困難と絶望の記事が、この1年間ずっと続いている。別の新聞では、子どもたちへのアンケートで『放射能については気にしない』と答えていることが報じられたが、それは”気にしていない”のではなく、”気にしないようにしないと生きていけない”というのが本音。気にしていない子などいないと思う」という永野さんの言葉は、福島の現実の重さを表していた。
 

ワークショップ~支え合うきっかけ

6〜7人ずつのグループに分かれ「これからの支援について」、すぐにできる支援、長期的に必要な支援をあげ、阻害要因と促進要因を考えるワークショップを行った。避難してきた人たち、支援する人たちから、様々な意見がでた。

「東京は情報が多すぎ。必要な情報を整理して集約された窓口が欲しい」「引っ越してすぐに必要な生活情報につながる手段が必要」「避難者同士、同じ境遇の人が集まって自由に話せる場所が欲しい」「子どもが安心していられる場所の確保」「いじめを防ぐ、学校への啓発が必要」といった意見や、「支援はいらない。家が欲しい」という福島から避難された人の声もあった。

福島からの避難された母の「“頑張れ”とか、”絆”という言葉が大嫌い。今まで家族もバラバラでいろんな境遇で頑張ってきた。未だ先も見えない。これ以上、何を頑張れというの?!”絆”という一言で片付けないで欲しい」という福島ママの悲痛な声が胸に突き刺さった。

1年がたち、福島からの避難された人たちと支援する立場の人たちが、同じテーブルで意見を話し合えることができた。お互いの立場に耳を傾けられるこの状況になるまで、1年かかったのだと思う。

最後に各個人で、1ヶ月、3ヶ月、それ以降の行動目標を紙に書いた。具体的な目標をたてることで、今の自分を整理して、前に向くことができたのではないかと思う。それぞれの問題を解決するための次のステップに進むヒントやきっかけを感じる場となり、具体的な支え合いができるネットワークに発展していければいいなと感じた。

<支援の行動目標>

●1ヶ月
・自分が住んでいる地域に避難されている人がいるか探してみる。
・福島の家族や友人に会ったり電話などで、今の思いを聞く。
・交流のあるお母様方と本音の話。
・(福島出身者)体調を元に戻し、子どもにちゃんとつきあう。
・本日知り得た情報を周囲の人に伝える。
・今日出会った福島の方、福島避難された方のブログを訪れる。
・どんな支援がされているか調べる。

●3ヶ月
・福島に行ってみる。
・子どもの遊び場づくり
・心を割って話せる、出会いの場を作る。
・自治会として子どもたちのケアやトラブルに対処できるようにする。
・10人以上のキーパーソンに今日のことを話して伝える。
・院内集会に参加し、子どもたちの現状を訴える。
・寄付金をできるだけ多く集める。

●それ以上
・福島に行く。
・県外避難の子どもの通学支援
・福島から避難された人の語り合う場づくり
・(福島出身者)この1年版の記録を写真つきでまとめる。夫をフォローする基盤を固める。
・今日のことを忘れない。
・自分たちの活動の報告会を行い、東京と被災地の温度差を縮める。

このシンポジウムを主催した「こどもプロジェクト」の報告は、こちらから。
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福島からの母子支援について考えよう シンポジウム報告

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