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人間は知恵の生き物だが、忘れる生き物でもある

02.15.2013 · Posted in 震災復興

岩手沿岸部で津波被災をした方にインタビューしたときの話。

3・11ですべてが流された。
避難所でトイレは、地面を掘ってしのいだ。
「トイレを掘るってことを考えたことなかった」。

避難所に、道路工事のガスバーナーを軽トラに積んで逃げてきた人がいた。
学校の合宿所にあったガス釜を組み合わせ、食べ物の煮炊きができた。
いろいろなものを代用したり組み合わせたりした。

人間って、いざというときに、なんとかできるもんだ、知恵の生き物なんですね、と。

あれからもうすぐ2年がたつのに、建物はまだ建てられず、町はなにもないまま。
でも、津波のこない高台で人は暮らしているから、もう津波はこないよね、と思って、特に備蓄はしていない。

昨年末の大きめの地震がきたとき、10cmの津波がきて、携帯がつながらなくなり、道路がダメになった。
校舎が流され、仮校舎で学ぶ生徒は、その日、学校から帰れず、8時過ぎまで学校にいた。
そんなとき、食べるものがなかった。

流されてなくなったとき、人は生きるために知恵を絞った。
なのに、たった数年でその苦労を忘れ、備えることをしない。

人間って、知恵の生き物だが、忘れる生き物でもある。

明治三陸地震(明治29年)のときには、40mの津波がきた。
昭和三陸地震(昭和8年)のときには、30mの津波がきた。
そのたびに、津波がきた、海抜の低いところには、住むなといわれてきたのに、年がたつにつれ、町も元に戻り、海のそばに家を建ててしまう。

ものすごいピンチのときには、ものすごい能力を発揮するのに、なぜ、それを忘れ、同じ過ちを繰り返すのだろうか。

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