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福島から避難した母、それぞれの決断

03.15.2013 · Posted in view, 震災復興

3月9日、福島母子避難の会in関東の、最終回「トークトークふくしま」に参加した。
今回は、2人の母が決断した話を語ってくれた。

1人は、東京に母子で避難してきたシングルマザーの菅野久美子さん。
家探し、保育園探し、仕事探し・・・東京での1人での子育ては本当に大変だったと思う。それを乗り越えて、ようやく落ち着いた昨年の夏、違和感を感じ、「変わっていきた!」という自分の気持ちに気づき、本当の居場所探しを始めた。

両親のいる福島に帰ることも考え、再度、福島を訪れ、その環境を実際に見て、「戻れない」ことを確認した。

では、どこに住むのか?
彼女が、見つけたのは、岡山だった。

町の雰囲気、自然と町の便利性のバランス、適度に田舎、農業もできそうな環境、くるものは拒まない地域性。自分の生い立ちや性格から、自分という人間を見つめなおし、最もfitするところを探し当てたのだと思う。その行動力と決断力の凄さ。

それに、家を見に行った当日、初めて訪れた家で、「ママ、ひとりでいってきていいよ」という娘の一言が、自分の決断を娘が受け入れてくれたと感じたという感覚。

「私が一歩を踏み出そうとするときに、手をつないでくれた」
いろいろなものを真剣に考え、究極の選択をするとき、人は感覚が研ぎ澄まされるのだと思うが、まさに、そういう瞬間だったのだろう。その嗅覚や決断力は、女性として、母としての自分の価値観を見極めた結果なのだと思う。

もう1人は、虷澤沙織さん。
夫と娘と3人で福島から避難、母子避難の会の事務局として避難者の交流や情報交換など活動する他、反原発デモに参加したり、広域避難者同士をつないだり、復興庁の非常勤職員として福島の調査なども担当。そのパワフルさは、本当にすごいとしかいいようがない。

でも、東京で2年を暮らすなかで、故郷である福島が、放射能のせいで汚れ、歪められていくのに、どんどん苦しくなっていったという。

「二度と帰らない」と決断して避難してきたのに、いつしか「帰りたくて、帰りたくて、仕方ない」思いに変容していった。

昨年夏、夫の仕事の契約が切れると、新しい仕事をなかなか探せず、福島で働くことも選択にいれて探すと、すぐに仕事が見つかり、放射線量の低い町を知り、そこでの家も見つかった。

娘は、この春、小学校。自分たちに原発礼賛の教育をしてきた国への不信感から「公立小学校には通わせたくない。なんなら学校に行かせなくてもいい」と思っていた矢先、近くに私立小学校を見つけた。

夫の仕事、家、娘の小学校、3つをクリアし、福島に戻ることを決めた。

このタイミングで、3つがトントンと決まるのは、明らかに、福島に帰るべし、という神様の意志としかいいようがない。いや、見つけたいという、虷澤さんの強い意志が結果を導いたのかもしれない。

どれほど、自分の心の奥の声に、きちんと耳を傾けるか、
いかに、自分が納得できる人生を歩む覚悟があるか、ということを感じさせる。

最後に、実家に母子避難している鹿目さんも登場。
福島で働く夫は、「帰ってこないのなら、別れる」とまで言い、メールしても電話しても返事なし。自分たちからのアクセスを拒否する夫に、もうダメかもしれない、と思いつつ、娘のために、簡単に別れることはできないし、家族を壊したいわけでもないという複雑な思い。

「パパ何でメールくれないの?会いたいからメールください」
全然返事をくれない父親に娘が必死でメールすると、保育園の卒園式にはきてくれることになった。でも、半年間向き合っておらず、距離が遠くなってしまった今、どう話をしようか、混乱しているという。

一度、娘に福島に帰ることを説得したが、娘はうんといわなかった。
夫も、自分の仕事、今までの生き方を考えると、そう簡単には動けないだろう。男のプライドもあるかもしれない。

夫と娘、そして自分、ぞれぞれの気持ちがわかり、その間で揺れる気持ち。本当に苦しいと思う。

そんな状況で、2人の話を聞き、「すごく軽くなった」という。
「3人とも、どこで生きるかよりも、どう生きるかをすごく大事にしている。優先している。そこを大事にしてれば大丈夫かな」。
条件の揃った環境を選ぶのではなく、主体的に生きるということの大事さ。

虷澤さんは、「今までいろんなメディアの人に、いつ帰るんですか、福島はどうなったら帰るんですか、線量がどれくらいになったら帰るんですか、具体的な数値目標があるんですか、と言われてきましたが、そういうことではない」といったが、本当に、そういう単純なことではない。

人の暮らしには、環境、学校、仕事、お金など、様々な要素があるけれど、環境を一言いっても、数限りないチェックポイントがあり、それが複雑に絡みあっていて、「◯が◯だから」という単純なことで判断はできない。

メディアの人間は、本当にバカなのか。わかりやすく表現することが仕事とはいえ、それを相手に求めるのは、自分たちが仕事できないといっているようなもの。複雑な人の生き方を、単純に表わして共感してもらえると思っているのか、と呆れる。

3人とも、自分の価値観や尊厳を最大限守りながら、自分らしいと納得できる人生を歩もうとしている。そこには、たくさんの困難が待ち受けているかもしれない。でも、自分が決めた道の途中の苦労は、その先の目指すもののために、必ず乗り越えられるにちがいない。もし大変過ぎるなら、少しの寄り道もあるかもしれない。その時々の状況で工夫しながら進むというのが、人間に備わった能力ではないだろうか。

「今までの避難生活で、大抵のことは大丈夫だよね」という強さ。本当に辛いことだらけだったと思うが、心の強さは半端ない。そう簡単には折れない。

彼女たちの生き様を目の当たりにして、これこそが、本当の意味での人間としての生き方なんだと思う。

最後に、「こんな決断をできた人は、ひじょうに稀で、泣いて暮らしている人、この1年間離婚調停で苦しんでいる人、福島に帰るたびに夫や家族から厳しい言葉を浴びせられている人・・・そういう人たちがたくさんいることを忘れないでほしい。一度、支援にあげた手は下ろさないでほしい」と締めくくった。

地震と原発事故で、普通の暮らしができなくなった人がいることを忘れてはいけない。ただ、そういう困難があり、さんざん泣いてくらした時期があっても、顔を上げ、前を向いて一歩を踏み出し、自分らしい生き方を実現していこうとする人がいる。

どんな人にでも、それができる力は備わっていると思う。すべてが丸く収まる人生なんてない。どんな困難でも、その先にある自分らしい生き方に向かって勇気を持って進むかどうか、その違いだけなのではないかと思う。

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