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第1回 どれだけ自覚できるか

05.25.2013 · Posted in コラム, メンタルヘルス

「ワークライフバランス」という言葉が、よく聞かれるようになった。高度成長期には、仕事に没頭し、ワーカーホリックと呼ばれるような“仕事に生きる人”が良しとされた時期もあったが、最近、仕事優先の企業人の生き方に疑問を持つ人が増えた証拠だろう。仕事を優先した結果、健康を害したり、家族関係に影響が出たり、また、定年後に生き方が見えなかったりといった様々な問題が注目されるようになった。もっとも日本では、ワークライフバランスが「勤務時間と自分の時間のバランスの取り方」といった狭義の意味で捉えられていることが多い。

しかし、ワーク=仕事、ライフ=人生である。人生には、仕事だけでなく家庭、趣味、教育など様々な要素があり、趣味が多い人もいれば、介護や育児など家族関係の要素が多い人もいる。人によってその要素の種類も数も違ってくる。まず、自分の人生のなかに、どんな要素があるかを把握することと、仕事をどう位置づけるかを理解し、自覚することが大切である。その要素が、自分で納得がいくようにバランスよく配分されていることが、本当の意味でのワークライフバランスであり、それぞれの要素の相互作用で相乗効果があることが理想だろう。
 

●時間の使い方

ワークライフバランスの鍵になるのが、時間である。日本の実労働時間は、1970年に比べると2割以上減って米国並になっている(年間実労働時間の国際比較(1960~2011年))。ただ、労働時間が減ったからいいというわけではない。内容が問題である。

何かやりたいことがあるときに、「若い頃は時間があるが、お金がない。お金が自由に使えるようになる頃には時間がない」とよく言われる。人生のステージによっては、仕事にかける時間の比重が増えるときがあり、徹夜で睡眠時間を削って仕事をする日が続くときもある。生活上での時間だけを見るとバランスが悪いように見えるかもしれないが、それは人生全体を考えれば、そのときの徹夜が次の仕事やステップアップにつながる可能性があれば、将来の自分の時間を先に使っていると考えてもよいだろう。そのときは負担でも、その時間の使い方が将来にとって意味のあるものかどうかを見極める必要がある。

自分の担当の仕事で問題が生じているとき、「定時だから帰ります」といって帰るのは、一見自分のための時間を大事にしているようだが、ワークライフバランスを取り違えている。例えば、定時で帰る理由が、「迫っているTOEIC試験のための英会話学習」だったら上司や同僚と相談して帰ってもいい場合もあるだろう。仕事は1人でするわけではないので、日頃から自分の状況を共有することは、社会人としてのリスクマネジメントでもある。「定時で帰る」行動より、「定時で帰った後の時間の使い方の意味」が重要なのだ。それを他人にきちんと伝えるには、その時間の使い方が自分の生活や人生のなかで、どのような位置づけなのかを整理し、自覚する必要がある。

●制度があっても

2008年、居酒屋チェーン「和民」を経営するワタミフードサービスの26歳の社員が長時間労働と過労により自殺するという事件があった。この事件は労災認定されたが、代表の渡邉美樹氏は「労務管理ができていなかったとの認識はない」とTwitterで発信し、ワタミは「ブラック企業」のレッテルを貼られてしまった。ブラック企業とは、劣悪な環境での労働を強いる企業のことで、長時間労働やパワー・ハラスメントでうつ病を発症する社員が多い、安全基準を満たさず怪我人を出す、職務内容や労働時間に見合わない給与体系など、社員に対する扱いがひどい企業を指す。昔は制度が完備されていない中小企業にありがちだったが、今や一部上場企業でブラック企業と評される会社がいくつもある。そんな状態を入社前に見分けるのは難しい。

死者を出したのは極端な例に見えるが、実際には、仕事で精神を病み、休職や辞職する人は少なくない。辞職後病状が好転せず自殺する人もおり、自殺者数は、毎年3万人もいる(注2:自殺者数の推移(自殺統計))。

従業員の心身の健康の維持・向上、ワークライフバランスの実現のために、企業はさまざまな制度を備えているが、制度があっても運用されていない場合もある。「勤続年数が長い人は1週間の有給休暇の制度があるが、とっているのを見たことがない」、「産休・育休制度があっても実際には取りづらい」などよく耳にする。制度を実際に使えるかどうかは職場の上司の理解や雰囲気によるものが大きい。

「休みをとりたいと、いわない本人が悪い」「体調が悪ければ休めばいい」という声もあるが、不況によるリストラや退職勧告の危機がつきまとう昨今、人としての尊厳を守る最低限のことを口にできない環境にいる人も少なくないと想像する。この一線を超えたら自分ではなくなるということを自覚でき、その手前で周りに伝えるようなサインを出せる人は、どれくらいいるのだろうか。

●自分への見極め

このような社会では、自分で自分を守らなければいけない。そのためには、自分がどう考え、どうしたいかについてはっきりと自覚し、周囲に伝えていくことが重要になる。時には逃げることも必要だ。しかし人は自分のことを知っているようで意外に知らない。また、人は環境によって意志を左右されるため、環境によって本心が歪められていることに気づいていない場合も多い。特にその渦中にいると本音がわからなくなりがちである。

東日本大震災後、福島から避難している人のなかには、自分が何を感じているかが言葉で表せなくなっている人がいるという。避難所では、「生きているだけでいいんだから、わがまま言わないで」という無言の圧力で言いたいことも言えない状態が続いた結果、元の自分の生活とは程遠い仮設住宅や借り上げ住宅の暮らしに対し、「こんな場所に住まわせてもらえるだけで、ありがたい」という言葉が出る。自分の感情をそのまま出すことができない、何を感じているかを自覚することもできない状況に陥るのは、このような被災者だけではなく、仕事、家事、育児、介護などが過剰にのしかかったときや、最初は小さな問題でも複雑化・肥大化し抱えきれなくなったときにも起こりうる。

人はその言動を振り返ったり確認したりを繰り返すことで、本当の自分とは何かを見つめ、自覚できるようになる。自分の見たくない面に目をつぶり、自分の言動や気持ちを真正面から捉えなければ、いつまでたっても自分を理解できない。ワークライフバランスを考えた時、本当の自分がやりたいことや本音などが人生に率直に投影されて初めて自分としてバランスがとれた人生とも言える。

人間関係も自分の進む道も、ちょっとしたボタンの掛け違いからいつのまにか外れてしまうことはよくある。そうならないためには、自分に目をそむけてないか、今進んでいる道が本来通るべき道かを確認することが大事である。「こんなはずではなかったのに」と言うはめにならないためには、今の自分の感覚や本音を見つめ直し、自分のいる足元を確認し自覚することが必要ではないだろうか。

Int’lecowk(国際経済労働研究所発行)2013年5-6月号に掲載されたものです。

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