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日本女性の人身売買

06.29.2015 · Posted in 女性問題, 社会

ザビエルも福沢諭吉も伊藤博文も女性の人身売買で儲けた人買いだった。

いつの時代も、女性を商品に儲ける男たちがいる。

そういう男たちが経済の底辺を支え、国の中枢にいる奴らと結託している。

●ウサギたちが渡った断魂橋-からゆき・日本人慰安婦の軌跡-上下
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/2e257a544c4ec831a713d31358d30329

一部抜粋

*キリシタン大名と奴隷輸出……。下「」引用。

「キリシタン禁教の前に、たくさんの庶民が、硝石の物納として、つまり奴隷にされて海外に移出されてましたようです。
“白銀海岸(シーサイドシルバー)”から送り出されたからゆき男女は、この奴隷が初まりであったのです。
 日本は鉄砲は真似して作れても、火薬の硝石がなかったのでした。その時期に-略-諸大名が洗礼を受けたのも、みんな火薬の硝石欲しさで、これがキリシタン大名の実像だという説を八切氏は私に語りかけました。」

*少年マルテーや大村マンショは、外国での奴隷のことを書き残している。下「」引用。

「これら人売のことでは、ポルトガル王のジョアン三世から、ローマ法王庁に、
「ジパングは火薬一樽と交換に、五十人の奴隷をさしだすのだから、神の御名において領有することができたら、献金額も増すことができるでしょう」
 という進言があり、イエズス会からの戦闘教団が、一五四一年四月七日、八年をかけて喜望峰まわりで日本へと着いたのだという。-略-」

*「伊藤博文の売春のすすめ」

メイメョウ・避暑地の娼館……。下「」引用。
「言証さんはビルマでは、ラングーンのほかにメイメョウでの施餓鬼の写真を残しています。-略-
 メイメョウは、梅、桜の咲く避暑地であります。湖水を背にピンクの石楠花も咲くような高知の別荘地なのでした。ですからイギリス人の統治者や、金持の中国人のりっぱなセカンドハウスが並んでおりました。そのせいか写真のからゆきさんも、洋妾ぽい姿にみうけられます。
 このメイメョウは、太平洋戦争では、十五軍牟田口中将の司令部がおかれたところで、朝鮮人慰安所、広東娘の慰安所、高官洋としては大阪飛田遊廓からの「翠明荘」または「青葉荘」などなど、第二次娘子軍いえますところの「従軍慰安婦」が重なった土地でもあり、そのことは拙著『慰安婦たちの太平洋戦争』の続の二巻目にくわしくおさめました。」

*みずてん芸者……。下「」引用。
「鄭州で一二軍の隷下師団が通るたびに、師団のお偉方さんに献体された高島恵子の場合はこうです。
「私は北支那派遣軍の日本軍の将校クラブで働いていました。将校クラブ従業員というと体裁はいいのですが、俗にいうみずてん芸者という卑しい職業です。もっと分かりやすく書けば日本軍の将校用の慰安婦です。一般兵隊さんの慰安婦は当時、日本に虐待と屈辱を蒙っていた朝鮮の女性が狩り出されて相手をさせられていました」」

*だまされたという……。下「」引用。
「言葉上手に何べんもすすめられるうち私はお国のためと、病気にいいという二つの餌につられ、また『女子報告隊志願』という美名にもだまされて、中国大陸に行くことになったのです」
 このことは朝鮮総督府から面(村)の警察までグルで女子を人肉市場に引出した例と、なんらかわりないことが日本の婦女子にもなされたことを物語っております。」

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