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内海 聡氏のこれから

03.26.2016 · Posted in 社会

きっかけは、
子どもが生まれたこと、
3.11があったこと。

医療に興味もないのに医者になったこと、金儲けもできるだろうなぁと
なんとなく足を踏み入れたこと・・

うつみんは、正直。

確かに、この1〜2年と、3年前とは違う。

これからどう変わっていくのか。お子さんの成長とも関わりがあるんだろうけど
たのしみ。

内海の本心

これは昨日も受けたよくある質問だが、ほとんどの人が勘違いしているようだ。すべては私の本を読めば書いていることなのだが、私は別に世の中を正したくて今の行動をとっているわけではない。同意したり応援する人々は私の行動は炎上目的であり、はっぱをかけて人々を目覚めさせるためであり、世の中を変えるための汚れ役であるように受け取っている。反対者はビジネスのため名前を売るため不安産業のためと受け取っている。

後者の方があっていそうであるがそう簡単なものでもない。私が現在の行動をとっている目的や理由は、すべて自分の子どもが生まれたことにある。子どもが生まれなければ世の中の仕組みが分かったところで、変革に類する行動などとることはありえなかったであろう。だから子どもがいなくなれば私はこの行動をやめるだろうし、子どもにとって必要がなくなっても私はこの行動をやめるだろう。

もう一つの目的は人間以外の地球環境に向けてである。この場合の人間は自分さえも含んでいる。幼少期からの思想の一つとして人間こそが地球のゴミであり、不必要の限りであり嘘の限りを尽くす悪魔である、という思想がこの行動の原点である。本来はそう思っているので何も行動を起こす必要はむしろなかったともいえ、バカな人類が苦しんで滅んでいく様を横目に見ているのが、おあつらえ向きだったことは間違いない。

私は医学部志望ではなく文系志望であり、医学に対する興味は微塵もない中で医学部に進学した(本当は医学部に入る医者で人を治したいなんて医者は一人もいないが)。よって医学部の勉強などしたこともなくスポーツ三昧、遊び三昧であり、医師免許を取ってからも教授から大学病院から先輩の医者から、すべてを深い軽蔑の中で観察してきた。そしてそれは当然愚かしい患者や患者家族やコメディカルにも向けられてきた。

だからまったくやる気がない中で開業したのも早かったし、開業すれば人より金持ちになれると考えていたにすぎなかった。東洋医学を学んだのは方法論を広げ自分を楽にするために過ぎず、開業したからといって大金持ちになろうという意欲もなかった。小金持ちの上で世の中を斜に見てクソ人類の滅びゆくさまを、見ていればそれで満足だったはずが、興味本位で精神薬の薬物依存に関する活動に足を踏み入れてしまった。

これが失敗だった。急速に医療の負の部分が私の周りに集まるようになっていった。特別やりたくもないものに対して、医者という重要な資格を持っている関係上、引きずり込まれてしまったような印象がある。その活動も途中でやめてしまったが、過程の中で「CCHR(市民の人権擁護の会)」や船瀬俊介氏、その他多くの人たちと会うようになっていった。そのような流れの中で世の中の構図というのを、改めて自分の中で整理できるようになったのは事実だ。

しかし本質的に彼らと同じことをやりたかったわけではない。きっかけは書いた通り子どもが生まれたことに、3.11が混ざってできた小さなものである。自分がやってきたことを全否定することから始め、いまや有名人の一人になったようだが、なったからと言って満たされるものは何一つ存在しない。むしろこの立場になっていろんな情報を集め、さらに変な情報筋からいろんな情報が流れて来るに従い、より虚無感を深めているのが現状である。

この1~2年は特にそうだが、自分のやる行動に全く意味を見出していない中で、それでもやっているという矛盾がある。グーミン、アホンジン、クレクレ君、ジンルイ、その他すべてのものが何も変わりようもなく、変わりようもない中で自分が執着心を残しているのがわかる。ちょっと情報を集めわかった気になっているニンゲンしかこの世界には存在せず、なにも行動しないし影響力もないくせに、ネットをやって社会を理解した気になっている。

政治家も多くの人が知りあうようになってしまったが、それでも何も変わることはないし彼らは何もできない。社会情勢的にいえば虚無感を最大にさせるテーマは放射能及び麻問題だが、いかに人間というのは無知、無駄、無縁、が勢ぞろいしているのかがこのテーマでよくわかる。ネットになぜおいしそうな情報が飛び交いなぜ今なのか、タネよりも水よりもこの問題が今のトピックになっている理由など、ニンゲンなぞにはわかりようもない。

こんななかで期待などは持ちようがないのは当たり前であり、理解すればするほどになぜやるのかの理由は消えていき、やっても無駄なことを理解するようになり、何も社会が動いていないことを理解するようになり、ニンゲンが常に嘘をつきながら近寄ってくることを理解するようになる。それが見えるようになりながらこの社会で何かをやっていくことは、非常に苦痛に近いのだが奴隷根性がまだ残っているだけに過ぎないのだろう。

つまり一言でいえば冷めているのだ。ニンゲンたちの苦しみはすべて自分たちの自業自得であり、それは私自身に対してもきっと同じであり、ビジネスした方がいいというのもそれの延長線上の心理に過ぎない。究極的には破滅主義であり刹那的であり、自分も含めてジンルイをあざ笑うために現在の行動をとっていると思える。だからこそ何を誰に言われようが書かれようが、なにひとつ気にならないといえる。

人々が私に何かを期待しても無駄だろうと思う。それを満たそうという理想心や正義心はなく、それを期待する人々への軽蔑心を常に持ちながら人々を観察している。人に何かを期待するなら自分がやればいいし、反対するからといって真の反対者は華麗にスルーするだろうが、反対したい人は単に図星だからに過ぎない人種であり、そのような人種も虚仮にする以外価値がないと思っているくらい、私はこの世界に大きな価値を見出してはいないのである。

なぜやるのか、やる価値がないことを観察して自己憐憫しているからだろう。私もまたすべての人類と同じく奴隷に過ぎない。

2016年3月25日 内海聡氏のFacebookより

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