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プロジェクトと政策提言で、世界の貧困問題に取り組む

06.01.2011 · Posted in Interview, 社会貢献

特定非営利活動法人オックスファム・ジャパン 事務局長 米良 彰子 さん

●世界中の貧困削減のために

「貧困問題は、理由がひとつではない。いろいろな方に対し、いろいろな視点、いろいろなアプローチで働きかける必要がある。現状を伝えるのは重要だけれど、悲惨さを伝えればいいかというと、必ずしもそうではない。ひどい状況はあるけれど、みんなが関わることによって、こんなに変わる、だからこういうアクションをとって欲しい、ということを見せていきたい」。

オックスファムは、1942年にオックスフォード市民5人が、ナチス軍による攻撃で窮地に陥っていたギリシア市民に、食糧や古着を送ったことから始まった。チャリティーショップを開き、市民活動をしながら、第二次世界大戦後のヨーロッパの戦後復興、植民地独立への難民支援、自然災害に対する緊急支援などを行い、現在、17の地域を拠点に、世界99カ国で活動している。

オックスファム・ジャパンは、2003年に設立された。最も大きな活動としては、毎年5月に小田原から山中湖までのコース100kmを歩くイベント「トレイルウォーカー・ジャパン」を開催し、約5000万円もの参加費や寄付を集め、緊急支援や教育・農業などの国際協力に役立てられている。




トレイル・ウォーカーは、100kmのコースを4人1組で48時間以内にゴールする目的と、参加者自身が寄付金を集めて国際協力に貢献するという目的、2つの挑戦が用意されたイベント。

●震災と友人の死で国際協力を決意

父親の転勤で高校時代をアメリカで過ごし、大学もそのままアメリカで進学した米良彰子さんは、学生時代からニューヨークのUNICEF事務所でのインターンなどを経験。この分野に進もうと考えていたところ、先輩に「社会人を経験してから、戻ってきても大丈夫だよ」と言われ日本でスポーツアパレルに就職。配属された海外営業部ではマーチャンダイザーとして、企画から生産、海外営業、販売促進までを担当した。

そして阪神大震災に遭う。宝塚生まれ、西宮育ちの米良さんは、当時大阪に住んでいたために被災しなかったが、同世代の人たちが亡くなるのを目の当たりにした。「これからやりたいことが、たくさんあっただろうに…。住む場所で運命を分けるなんて。明日は我が身」。その矢先に、元同僚が病死する。「せっかく独立したのに、ほとんど何もできずに、この世を去った。”たられば”は嫌だな。やってみたいことを、まず、やってみよう」と決意。会社員をしながら、緊急支援活動に参加した。

学生時代学んでいた国際協力への関心が蘇り、国際協力の仕事に就くために、アメリカの大学院に進学。修士2年目は、カンボジアで米国の子ども番組「セサミ・ストリート」の内容を、カンボジア仕様にするフィールドワークを行った。

「カンボジアの活動では、刻々と状況が変化し、自分のやっていることの小ささを日々実感しました。そこでの毎日で、日々の活動も大事ですが、しっかりと政策を変えていくことに取り組むこと(アドボカシー)、その両方のバランスがとれていないと、成果に結びつかないことを現場で学びました」。

●届かなかったら意味がない

米良さんは、震災後、働きながら、神戸の多言語・多文化コミュニティFM放送局で番組のDJ・プロデューサーとして活動していた。神戸の人を対象に番組を作り、インターネット放送で世界に発信するなかで、常に、相手に求められる情報をどう伝えるかを意識していた。また、カンボジアでTVの教育番組の制作、メーカーでの仕事から、ものづくりからの発信というアプローチを身につけていった。

「”つくって出す”というのが、自分の働いてきたベースとなっています。つくるからには、一人でも多くの人に、見てもらう、聞いてもらう、知ってもらう、という部分は、知らずしらず一貫しているな、と。私たちの活動は、まず、現地の人たちが必要としていることが前提です。いくらこちらが頑張ってつくっても、相手に届かなかったら、つくる意味がない」。

アウトプットするときに、「誰に何を伝えたいか」、その後に「どんなアクションを期待するかまで考えないと」と米良さんは主張する。
「難しく考える必要はないと思うんです。何かを作って出していく時、全くの無の状態から作るわけではなく、いろんなところにヒントがある。それを、どう集めて具体的なカタチにするか。これがモノづくりの基本動作ではないでしょうか」。


インド・ウタラーカンド州のヒマラヤの裾野の村では、男性が出稼ぎにいくため、女性が農業や重労働を支えている。貧困から立ち上がるために、女性たちに、ヤギや鶏を育て、果樹園温室をつくるという支援を行っている。

●ファンづくりのためのしかけ

世界の貧困を何とかしたいという気持ちはあっても、日本で具体的に何をすればいいかわからない人、寄付がどう使われるかが気になって寄付できない人もいる。寄付や奉仕が定着している欧米に比べ、日本ではアクションまでに距離がある。
「寄付文化がない日本の土壌では、欧米とはしかけを変えないといけない。企業は、新商品を世に出すときに様々な手法でしかけます。海外営業部で働いていた頃、日本で企画して海外で生産した商品を、日本や海外の様々な人にアピールしファンを増やすには、どうすればいいか、ということをずっとやってきました。それと同様で、オックスファムの活動に共感するファンを増やせるかどうかは、しかけ次第」。つまり、プレゼンテーションという意味では企業活動と共通する。

「今、社会貢献やボランティアの希望者は、とてもたくさんいます。ただ、時間的な制約や職場との関係で場所がなかったりする。機会や環境をどのようにして増やすかを考えるのが私たちの仕事。上手に窓口を広げると、携わってくれる人、行動に移してくれる人が、どんどん増えるんです」。
世界の貧困問題を全く知らない人に、いかにわかりやすく伝えるか。国際会議では学術的なアプローチもあるが、相手が誰かによって伝える手法を変える必要がある。ただし、メッセージを変えない。多くの人に伝え、共感を得るコミュニケーションが重要なのだ。


2010年6月、G8/G20サミット開催中のカナダで、各国の首脳たちに、世界の貧困克服を訴えるための「ビッグ・ヘッド」によるパフォーマンス。

●軸足は違っても、めざすところは同じ

環境問題ひとつとっても、気温上昇の問題だけでなく、気候変動による収穫の減少、生計への影響、女性の雇用、子どもの就学など、多方面につながっている。
「社会問題に取り組む団体もいろいろ。環境、貧困、緊急支援、女性、子ども…、軸足をどこに置くかは違っても、めざすところは同じではないでしょうか」。
貧困というワードひとつとっても、多様なアプローチがあると米良さんは言う。オックスファムの日本での活動歴は浅いが、第二次世界大戦の頃から世界中の仲間が築きあげてきた活動実績を参考に、失敗談は取り入れないように、日本での成功を考えればいいと前向きだ。

「やりたいと思ったら手段は見つかる。手段が見つからないのは、そこまで本気でやりたいと思ってないんじゃないの?って思う。トレイルウォーカーは今年で5年目ですが、やり始めたときはスタッフ数が少なくて、どうなることかと思いましたが、今では参加者は約800名、当日のボランティア約600名、全体で2000人近い人が、貧困で生きる人のために何かしたいという目的で動いてくれる。また『地域活性』という意味での開発に、寄与できているんじゃないかと自負しています。本当に必死になると自ずとお手伝いしてくれる人は出てくるはずです」。

世界の貧困問題という、1人の力ではどうにもならない現実を前に、現地のプロジェクト実施と政策提言・アドボカシーの両方のアプローチから、ひとりでも一緒にアクションを起こしてくれる人を増やすという米良さんの活動は、やがて社会を変える大きな原動力になるにちがいない。

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米良 彰子 さん
特定非営利活動法人オックスファム・ジャパン(http://oxfam.jp/)事務局長。
米国の大学で国際関係学を学んだ後帰国、( 株)デサント入社、海外営業部にて企画・営業に携わる。阪神大震災後、神戸のFM放送局「FMわぃわぃ」のDJ・プロデューサーとして活動。2002年(株)デサントを退社し、米国Brandeis大学院に留学し、国際開発プログラムを専攻。修士2年目にはカンボジアをフィールドにする米系NGOのEducational Television for Cambodia(現在はWorld Educationに吸収)でインターン、修士号取得。2005年、コミュニケーション・オフィサーとしてオックスファム・ジャパンに入職。2008年から同事務局長。

Int’lecowk(国際経済労働研究所発行)2011年5・6月合併号に掲載されたものです。

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