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菜食主義と近代宗教

05.14.2014 · Posted in food

食は、宗教と密接な関わりがある。

菜食主義は、近代宗教からでてきた、人をマインドコントロールし、従いやすくするために利用される。

肉食をやめ、菜食中心の食になると、生気が失われ病気になりやすくなり思考力が落ちる場合もある。

近代宗教と菜食主義

菜食主義や菜食中心主義を考えるとき、必要となる知識が近代宗教です。食と宗教というのは密接な関係があるため、宗教を知らずして食は語れません。ですからまずは、近代宗教というものがどういうものかを見ていきましょう。

近代宗教というのは原初アニミズム的自然崇拝と分けて考えるための呼称であり、その定義として、
1. 教祖が存在すること
2. 教義が存在すること
3. 戒律や宗教儀礼が存在すること
4. 宗教拠点が存在すること
5. 専門の神職者が存在すること
などを満たしていることが条件となります。

ですからユダヤ教やキリスト教、イスラム教、仏教、儒教などは近代宗教となります。また創価学会や統一教会、オウム真理教、モルモン教などなど、いわゆる新興宗教やカルト、セクトと呼ばれるものも近代宗教です。

近代宗教を布教している人は、人民の魂の救済ですとか、真理への道ですとか、現世利益ですとか色んなことを言います。でも、その本質はすべて同一であり、そこに例外はありません。

近代宗教の本質とは、為政者や有力者、実力者など一部の人間が他の大多数の一般大衆をコントロールするものです。ですからすべての教義や布教活動はマインドコントロールであり、そこに例外はありません。これが宗教が道徳や法律などとは決定的に違う所です。

宗教の本質を理解すれば、近代宗教というのはどのような物であっても決して人民のものではなく、一部の特権階級のものであるということが理解できます。だからこそ、全ての宗教には正しい教えとか間違った教えとかは存在せず、ただただ宗教が存在するのです。

話はそれましたが、菜食主義や菜食中心主義の話に戻ります。人類の歴史と文化、食との関係を多方面から考察した場合、人間本来の食性で健康を維持できる食事というものは、動物性食品主体の食事であり、そこに矛盾はありません。であるならなぜ菜食主義や菜食中心主義という思想が生まれたのか?これらの思想がもたらすものは、一般大衆の大多数の不健康や病気であるのに。

ここで発想を大きく転換しましょう。すなわち、菜食主義や菜食中心主義というものは、最初から健康を目的にしていないということ。つまり、人々を不健康にするために生み出されてきた食事法であるということです。一般大衆に誤った思想を植え付け、不健康になるように仕向けるために生み出された思想、それが菜食主義や菜食中心主義なのです。

こう考えると、全てのつじつまがぴったりと符合します。現代社会に病気が蔓延している事、マクガバンレポートを中心とした菜食中心でヘルシーな食生活が理想とされること、マクロビの元祖桜沢如一の師匠である石塚左玄が陸軍薬剤監として食事の管理をしていた時、日露戦争で陸軍のみに大量の脚気患者と死者が出たこと。全て矛盾なく理解することができます。

ですからあらゆる見地から客観的に検証しても、菜食主義や菜食中心主義で人は健康にはなれません。健康であると主張している人も、しょせんは体質や個人差の範囲を出るものではありません。そしてこの思想は食料生産が開始され、稠密な社会が国家を作り、支配層と非支配層とが分離して、そこで近代宗教の需要が生み出されたのと全く同一のプロセスで生み出された、人工的なイデオロギーなのです。

ですから菜食主義や菜食中心主義の人と、本質的に議論ができないのは当然です。これは近代宗教を信仰している人に教義の矛盾を論破できないのと同じです。どちらも人工的なイデオロギーであり、信仰している人にとっては絶対なのですから。

今から約2500年前、インドのマハーヴィーラはジャイナ教を開き、アヒンサーの徹底を訴え、菜食主義を唱えました。今日記録に残る最初の菜食主義は近代宗教とともに起こりましたが、これは歴史の必然なのです。

長尾周格氏のFacebookより

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