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Archive for the ‘子ども’ Category

東北6県で、いじめ大幅増加

12.11.2013 · Posted in 子ども, 震災復興

東北6県で、いじめが大幅増加だという。

岩手は6.9倍、宮城は6.2倍!

ただ、これは、校長の意識や教師の感度にもよる。気づかない教師、それはじゃれているだけ、などという教師も山ほどいるわけで、マジメにカウントするほど実態に近づき、深刻なものしか数字をあげない教師も、全国にいるわけで。

発見した後、どう対処するか。

これがとても重要だ。 (さらに…)

宮城県のいじめ、前年度の6倍以上

12.11.2013 · Posted in 子ども, 震災復興

昨年度1年間に、宮城県内の学校で確認された、いじめの件数が、1万7000件と、前年度の6倍以上に増えた。

震災後のストレスや不安が原因のひとつといわれている。震災での変化は、心的な影響が大きいにちがいないが、目立ったものが増えたのか、それとも、教員や大人が子どもの様子の変化を以前より敏感に感じ取っているのか。

「教員が子どもたちから小さな情報を集めて早期に対応しようとした結果」とあるので、震災前までは、教員もそれほど細かい部分まで、対応していなかったのかもしれない。

安易に震災で増えたとは言いがたい。 (さらに…)

虐待された子を精神科へ、というセカンド虐待

12.01.2013 · Posted in 子ども, 精神医療

虐待を受けた子どもに精神科治療なんて、必要ない。

精神科につなげて、向精神薬を与えるなんて、セカンド虐待。精神科につながると、薬漬けにされるだけ。子どもに向精神薬を与えたら、副作用で真当な社会生活が送れなくなる。立ち直るどころか、一生を棒に振る。

子どものことを考えたら、精神科ではなく、親の支援や教育が必要のはず。

精神医療の害がバレ始め、大人に通用しなくなってきたから、今度は子どもがターゲットに。

ワクチンと同じ。 (さらに…)

宮城県の小中学生の不登校の7.5%に、震災の影響あり

11.29.2013 · Posted in 子ども, 震災復興

宮城県の小中学生の不登校の7.5%に、震災の影響あり、という記事。

ただ調査結果は、あくまで「教員の視点」なので、子どもの心への感受性が低い教員だと、わからないだろう。

この調査は、宮城県の中学生の不登校出現率が3%で、全国1位だったから要因を分析する必要があるため行ったとあるが、震災後3年目になってやっと調査を真剣にするなんて、遅すぎる。 (さらに…)

避難先で増える児童虐待

11.21.2013 · Posted in 子ども, 震災復興

児童虐待の対応件数が2012年度、仙台市を除く宮城県と福島県でいずれも前年度から1・2倍増えた。震災後、復興の見えないなか、住環境は悪くなり、仕事もなくなって経済的に不安定になり、家族間の不安や不満、ストレスは、最も立場の弱い子どもに向けられるのは当然だろう。

特にいわき市は、約3万人もの避難者を受け入れ、元々のいわき市民と避難者の間に確執が起き、トラブルが増えている。人口は増えたといっても、いずれ帰る人間のために、行政サービスを充実させることをしようとしないため、病院、保育園、学校、住宅など十分でないところにさまざまな事情を抱えた人たちが住めば、トラブルが起こるのも当然だ。

子どものための相談事業などを充実させても、住環境を整え、仕事がなければ、本当の意味での解決はしない。

まず、大人が全国の他のエリアと同等の生活ができるための支援をすべきではないだろうか。 (さらに…)

子どもを怒鳴るのは、たたくのと同じ

09.17.2013 · Posted in 子ども

大人は子どもに言うこと聞かせるために怒鳴る。子どもは大声や厳しい口調に驚き、その言動を止めることはあるが、その方法がいいわけがないことくらい、少し考えればわかること。怒鳴ることは、脅しや威圧と同じ。

自分が子どもの頃に怒鳴られていい思い出がある人間なんているはずはない。怒鳴られた嫌だった記憶は、簡単に消されてしまうのか。それほど頭の悪い人間だけが、こういう行為を正当化するのか。問題行動を制止させるなら、怒鳴らなくてもいいはずだ。

「怒鳴る」行為を尊敬している相手にされれば、子どもはショックや怯えを覚えるだけでなく、自己肯定感を低くさせることにつながる。

怒鳴ることも、たたくこと同様、子どもの心を傷つけ、虐待にもつながることを大人は知っておくべきだ。 (さらに…)

「思いを表せない」震災から2年半後 被災地の子どもたち

09.17.2013 · Posted in 子ども, 震災復興

目前で家族や友人が亡くなり、家が流され、町が失くなるのを見てきた子どもたち。その時から今までの思いを、大人のようにうまく言葉にできない子も多い。小さすぎて何がどうなっているかもわからなかったが、少しずつ大きくなって、わかってきたこともあるだろう。

そして今の生活。自分の家は?これからどうなるのか? 
震災後2年半もたっているのに、見通しがつかないまま、仮設住宅で暮らしている子も多い。

この記事の「死んじゃった子もいるのに…という悔しさがある。なぜ僕は生きてるんだろう。聞きたいけど、なんて聞けばいいか分からなくて。我慢して、我慢して」という言葉は、とても重い。

なぜ、自分は生きているのか?

言いたいこと、聞きたいことはたくさんあるけど、聞いちゃいけないんじゃないか?

そんな思いを胸に押し込めながら成長する子どもたちは、どんな大人になるのだろう。

自分の気持ちや思いを言葉に表さずに大きくなるなんて。関心や興味を持って体験し、議論を交わしながら、アイデンティティが築かれて1人の大人に成長していくのに、それにどこかで背きなから生きていくなんて、どこかで壊れてしまうのではないか。

嫌なことにはあえて触れずに早く忘れたほうがいい・・・なんていう人もいるが、忘れることなんてできるわけない。思いを口に出し言葉にし、誰かに聴いてもらいながら、現実を認めていくこと。子どもたちこそ、そういうことを十分にしていく必要があるのではないかと思う。 (さらに…)

ADHDの診断基準

09.13.2013 · Posted in 子ども, 発達障害, 精神医療

ADHDを診断するのは、精神疾患を診断する基準の「DSM-IV-TR」によって行われる。
育てにくい子、学校でみんなと同じことができない子が、この基準によってADHDと診断されると、発達障害のレッテルを貼られ、みんなと同じように学校生活が送れなくなったり、薬物治療されたりする。その結果、普通の子としての成長が阻まれてしまう。

この基準、精神科医が作ったとされるが、他の内臓疾患などと比べると、主観的でかなりファジーな基準。科学的根拠があるかどうか疑わしい。アメリカの精神医療の方針にそって適当につくられたともいわれている。

何も知らない親は、他の子とちょっと違うということで、学校から精神科を紹介されると医師のいうことを信じこんで、薬でおとなしくなるだけでなく副作用でどんどんおかしくなっていく子を黙って見ながら悩むことになる。 (さらに…)

ADHDと診断される子どもたち、精神医療の犠牲者

09.13.2013 · Posted in 子ども, 発達障害, 精神医療

落ち着きがなく、授業中に他の生徒と同じようにできない子どもたちは、注意欠陥多動症候群=ADHDと診断されると軽度発達障害児というレッテルが貼られ、療育指導や特別支援学級に移されたりする。

日本では1990年代からその動きが活発になったが、アメリカでは1960年代から「学校は地域社会に対して、学習施設としてよりも、精神保健施設としての方が貢献できる」という考えが広がったことによりこの動きが始まった。

アメリカでは、授業中じっとしていられない落ち着きのない子どもたちへの、ADD・ADHDというレッテル貼りの動きは1987年に始まり、1年間で50万人もの子どもが診断され、1997年までに、440万人にも広がった。

精神科医は、確固たる診断基準がない、精神科医によって判断が違うといいつつ、1999年には600万人の子どもがADHDとされ、現在、世界で2000万人の子どもがADHDという精神障害のレッテルを貼られている。 (さらに…)

子どもの自信を育む、食事中の会話

08.05.2013 · Posted in view, 子ども

「子どもと一緒に食事をしながら、家族で会話をすると子どもの自信を高められる」という英国の調査結果が発表された。

小さい頃から食事中にテレビをつけていると、家族の会話のきっかけを失うのではないか、と感じていた。テレビにコミュニケーションのきっかけを委ねていると、どんどんコミュニケーション・スキルが低下するように感じる。

自ら考えて言葉を発し、会話のキャッチボールをする習慣を小さい頃からつけたほうがいい。
その自発的な会話が、子どもの自信を育てるのではないだろうか。
(さらに…)